朝起きると、おばちゃんが朝飯を作ってくれた上に、昼飯のおにぎりまで握ってくれていた。これからの事も心配してくれているようだ。何度も阿蘇までの道を教えてくれたのだ。まるで本当のおばあちゃん、おじいちゃんのようだった。その後、僕はKさん夫婦に礼を言い家を出た。
ヒッチハイクのしやすい場所を探すため歩いている時、おばちゃんが作ってくれたおにぎりを入れたビニール袋にあるメモ用紙が入っている事に気がついた。そこにはこんな事が書かれていた。
若い方に出会えて
今回はたのしいドライブが 出来ました。 どうぞ九州の旅をたのしまれ てください。くれぐれも大人 にだまされないようにね。僕が大阪で詐欺に遭った事を言ったからだろう。心配をかけてしまったようだ。帰ったら連絡をしよう。今回もいい人に出会った。
少し歩き車が止まりやすい場所を見つけ、僕はまたヒッチハイクを始めた。すぐに大型トラックが止まってくれた。乗っていたのは三十歳くらいの男前兄ちゃんで、いのしし狩りが趣味というさばさばした人だった。それがこの旅始まって以来始めての大型トラックだった。このトラックの男の人が言うには、トラックの運転中に仕事と関係のない人を乗せてはいけないという決まりが会社によってあるらしい。トラックは車高が高いので視野が違いいい気分だ。途中、日本一川までの高さが高い橋で止まってくれた。確かに、日本一というだけあって、橋の上から下を見るとクラクラする。写真をバシャバシャ撮ったが、後で見たらその高さが表現できていない。残念。
日本一。僕はこのセンテンスに弱い、日本一高い富士山、日本一の鍾乳洞秋吉台(この旅で僕は秋吉台へいく事になる)、さらには日本一まずいらーめん屋なんてのにもどうも惹かれてしまう。日本一と言われるものには確かにフム・・・と納得させられる事が多い。たまに最後に出した例のように、大した感動も与えてもらえない事もあるが。当たり、はずれがあるにせよ、行ってみる価値はあるというものだ。
トラックの男前兄ちゃんには阿蘇へ行く分かれ道の場所で降ろしてもらった。そこからまたいいヒッチハイクポイントを探すため少し歩いた。コツも大体掴めた。まずヒッチハイクポイントが重要。自分の後ろに車を止めるスペースがあるという事。車通りがそこまで激しくないところ。あとはドライバーと目が合ったら、決して目線をはずさない猛烈アピール。これに限る。私生活でもこんな猛烈アピールができればいいのになあ~・・・。まあそんな事はどうでもよい。
とにかくその目線を外さない猛烈アピールで、おじいちゃん、おばあちゃんの乗った車が止まってくれた。これまたドライブ中だという。車から見えるカルデラの中の湖、街、不思議な風景だ。阿蘇はどれだけの大きさの山だったのだろう。阿蘇カルデラになる前は富士山より高かったという説を聞いた事があるが、実際阿蘇を見てそれもまんざら理由のない嘘ではないと思った。山というのに見渡しの良い広々とした景色が続く。景色がよい所は毎回わざわざ車を止めてくれた。パラグライダーをしているグループがいる。いつかやってみたいもんだ(お金ができたらね)。
阿蘇の火口にも行ってくれた。おじいちゃん、おばちゃんはもうすでに火口は見た事があるので、途中まできてわざわざ待っていてくれた。火口からはブクブクと煙が立ち昇り、息を吸うとむせ返るほどの硫黄の臭いがする。ガスを吸わないようマフラーを口にあて、火口をジッと見てみる、なんと火口はエメラルド色で、綺麗な湖のようである。そして、外隣山の眺めは最高である。さすが世界一(今度は世界一である)のカルデラというだけはある。本当にスケールの大きさを感じる。阿蘇の火口を見終わった後、熊本に向かう国道で降ろしてもらった。このおじいちゃんとおばちゃんからはいなり寿司とバナナをもらってしまった。ほんと何から何まですんません。この旅、食べる物にはほとんど困っていない。ほとんど、誰かからご馳走になってしまっている。本当にみんな親切にしてくれる。さっそく、道路の横に座り、山道でもらったいなり寿司とバナナをほうばった。空気もいいし、景色のいい。たまに通る車に乗ってる人が僕を変な顔して見ていくのがちょっと気になったけど。
さて、またヒッチハイクを始める。五分足らずで一台のバンが止まってくれた。中には作業服を着ているおっちゃんが座っていた。名前をOさんという。話を聞くとOさんは他に2人のおじさんと住んでいて、手作りパンを作り生計をたて、登校拒否など事情がある子供をしばらく引き取り、大自然の中で人間関係の築き方を学びながら、更生していく場を提供していた。僕を見つけた時は、丁度熊本に手作りパンの材料を買いに行く途中だった。小庭さんが住んでいる所には僕が泊まる分の場所もあるという事で、この日はご迷惑になる事にした。パン粉を熊本まで買いに行った後、阿蘇の麓まで戻り、小庭さん達の家に着くと、そこには二件の立派なログハウスが建っていた。おまけに羊小屋まである。何とそのログハウスは全てが手作りで小庭さん達三人で土台から2年がかりで建てた家だった。僕が今まで見た事があるログハウスに比べるとかなり大きく、造りもしっかりしている。よくこんなものを作ったもんだ。
そこに住んでいるのは、オーナー、元大工のおっちゃん、Oさん、そして、中3の少年の四人だった。その中3の少年H君は明るい子で、1年前までは九州博多で暴走族に入って好き勝手やっていたらしかった。しかし、そんな生活じゃいけないと、彼自信の意思もあり、ここ阿蘇の麓に更生するためやってきたのだという。H君は中3というのに非常にしっかりとしていて、自分の意見をしっかり持っている子だった。まあ、この次の日の夜にさすが元暴走族という一面を見ることになるんだけど。
ログハウスに入り、みんなと共同の寝室の空いていたベッドを僕に貸してくれた。荷物を置き、リビングに下りると食事の用意をしていてくれ、みんなで語り合いながら飯を食べた。決して豪華な食事ではなかったが、僕が突然お世話になったので、みんなの分を分けてくれ、長い間話をしながら酒を飲んだ。オーナーはこういうお金に執着のない暮らしというのもいいものだという事を話してくれ、Oさんはここ阿蘇に住んでいる訳を話してくれた。Oさんは某企業の製造工場で働いていたが、会社をクビになり、ホームレス生活をしばらくして、流れ流れてここ九州阿蘇に着いた頃に丁度オーナーがログハウスを建てようとしていた時期だったという。そして、大工のおっちゃんも加わりログハウスを建て一緒に暮らし始めたのだそうだ。彼らの心奥底までは計る事はできないが、僕が見る事のできる範囲では幸せそうに見えた。僕が東京の大学に通う電車の中で、手すりに捕まりながらカックンカックン膝がなっているサラリーマンのハゲのおっさん達は見ていて悲しくなってくる・・・とこれは僕が学生の時の感想。今、僕は社会人三年目に入り、自分なりに懸命に働いている。電車の中の疲れたおっさん達を見ていて悲しくなってしまう事には、今も変わらない。だが、自分が働き始めて仕事の面白さ、くたくたになりながらも頑張っている何かを成し遂げて、認められた時の嬉しさを知った。そして、結婚をして妻と子を持ち、一生懸命働いている先輩達。それも悪くはないかもしれないと思うようにもなってきた。まあ僕は定期的な充電期間を入れていこうとは思っているけど。実際、社会人一年目というのに夏休み十日取って、一週間ベトナムに行ってきて、二年目の夏休みもミャンマーに行ってきた。3年目の今年はトルコにいこうと思っている。
これからも遊ぶところはきっちり遊んで、働く時はきっちり働くという切り替えのできるようになってやる。
飯を食べ終わり、素敵なおっさん達と中三のH君は僕を近くの温泉へ連れて行ってくれた。客も少なく、露天風呂には一人貸しきりで入る事ができ、後頭部を石に上にのせると、綺麗な星空が見える。本当にいい気分だ。
温泉を満喫し彼らとログハウスに帰り、ベットに入ると、この日も疲れていたのかすぐに眠る事ができた。
道路でもらったバナナといなり寿司を食らう。
阿蘇山にて。


