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2002年3月1日 出発、そして旅初日に受けた洗礼

朝6時ようやく夜が明けてきた。電車の窓からは真鶴の海がうっすらと見える。

重いバックパックを背負って、自宅から最寄駅である藤沢駅まで徒歩でいったが、思ったより時間がかかってしまい、5時15分の始発にギリギリで飛び乗った。昨日は友人達と「いってらっしゃい飲み」という面目で、朝方まで飲み明かし、結局旅に出る前日というのに2時間程しか眠れなかった。少しでも体力の回復を図ろうと、がらがらの車内の座席で僕は横になった。しかし、どうも眠くならない。初めての一人旅のため少し興奮しているのだろうか。僕は眠るのをあきらめ、電車の窓の外を見た。そこには、朝日が射してキラキラと光っている朝6時の真鶴の海が見えた。

車の免許の合宿までの日程を考え、約二週間程の旅をしようと思った。そうなると、時間的余裕を考えとりあえず九州までは電車で行き、九州に入ってからヒッチハイクで廻るのがいいと思った。だが、手持ちの金は7万。もちろん新幹線なども使えるはずもない。そこで、僕は青春18切符を使う事にした。

青春18切符とは普通乗車券で乗ることのできる電車なら、約一万円で5日分いくらでも乗り降りできる便利で格安の乗車券である。この乗車券の使い方としては、一枚の大きめの乗車券に5つの枠があり、乗った日付の判子を一つの枠に押してもらい。駅で降りる度にその判子を押された乗車券を見せれば、改札を出入りできるという実に便利なものである。僕が友達に青春18切符の事を話すと、その切符の存在を知らなかった人は、みんな口を揃えて「18歳じゃなくても使えるの?」なんて事を聞いてくる。もちろん青春18切符だからといって、18歳でなければ買えないなんてことはない。お爺さんだって使えるし、幼稚園の子供も使う事ができる。でもなんで青春18切符という名前なのだろう。知っている人がいたら、教えてください。

僕は真鶴の海を少し眺めたあと、旅に出る前に買っておいた小型全国電車時刻表を見る。もちろん、鈍行電車を使い一日で九州に着く事は不可能なので、2日かけて九州を目指す。今日は大阪の大学に通っていて、大阪長期出張中の親父と二人暮しをしている、高校のバスケ部で一緒だった同級生のM君の家に泊めてもらえる事になっていた。とりあえず今日の目的地は大阪の天王寺という駅だ。

静岡では乗換えまでに少し時間が空いた。電車から降りると、朝8時の冷たい風が吹いている。やはり寒い。寝袋を友達から一つ借りて、僕の物と合わせて二つも持ってきたはいいが、この寒さで野宿ができるだろうか。九州なら少しは暖かいかなと思っていたが、甘い考えだったかもしれない。ま、いっか。なんとかなるっしょ。駅には、自転車を解体して電車に乗りこんでいる青年がいた。年は僕より少し上に見える。彼も一人旅であろうか。

僕も自転車(ママチャリ)で少し遠出をした事があるが、あれはなかなか厳しい旅の方法であると思う。最初は友達みんなでワイワイ話しながら走っているのだが、時間と共に友人達との会話はなくなっていき、無言でペダルをこぐ時間が長くなっていく、そして、僕の表情と同じく友人達の表情も時間と共に生気を失っていき、みんな埴輪のように目の部分が黒い影のようになっていった。僕の自転車(何度も言うがただのママチャリ)が長距離用でなかったためか一日を走り終えると、僕の尻のサドルに面していた部分は猿のように真っ赤になっていた。そして、疲労と尻の痛みのため、帰り道が地獄を彷徨っているかのような気分だったのを覚えている。僕はチャリダーを尊敬している。あれだけの過酷な旅、僕にはできないかもしれない。ちなみに、チャリダーという言葉は北海道を旅した時に聞いて知った。バイクで旅をする人はライダー。自転車、俗に言うチャリで旅をする人はチャリダーなのである。まあとにかく、心から僕は思う。あっぱれチャリダー。

 静岡で電車を乗り換え、僕が次に電車を降りるのは名古屋。腹が減ってきたからそこで何か食べようかな。

豊橋を出た頃によく晴れてきた。奄美半島と知多半島に挟まれた湾が見える。何て名前の湾であろう。地図には書いていない。太陽の光を反射しキラキラと光っている。気分がいい。ふいに少し自分の口元が少し笑っている事に気が付く。そして、今回の始めての一人旅、必ずいい旅になると思った。まあ、この日僕は洗礼とも言うべき事件に出くわす事になるのだが・・・。

 名古屋で昼飯を食べようと降りたが、僕は名古屋駅周辺でローカルな感じの店を探す事ができなかった。夫婦で店をやっていて、おばちゃんパーマ、さらに紫のメッシュをかけた店のおばさんが、いい笑顔で「いらっしゃい!」と僕を迎え入れてくれるような所で昼飯を食べたかった。僕は名古屋での昼飯を我慢し、また電車に乗った。次の乗り換えは亀山という駅。ここでようやく眠気がきて、この道のりはずっと寝ていた。

肩をポンポンと叩かれ僕は眼が覚めた。「ここで、この電車終わりよ。」とその電車に乗っていたおばちゃんが起こしてくれたのだ。ここは亀山。電車を乗り換えようと、階段を登りホームに着くと、そこには一両のみのかわいらしい電車が止まっていた。そのかわいらしい電車に乗り込み席に座ると、周りの部活帰りの高校生達の話す言葉がなまっている事に気がつく。その時僕は少し遠くに来たんだという気がした。電車は山の中を進んでいき、窓からは川やら畑が見える。正直、結構田舎を走っている。

加茂という駅で乗り換えに30分ほど時間が空いた。少し駅を出て歩いてみる事にする。しかし、人が見当たらない。昼飯は大阪まで我慢するしかなさそうだ。

大阪。ここの人の多さは東京に負けていない。だが、僕の求めているものはローカルな定食屋。こんな東京みたいな人ごみなんかじゃない。しばらく街を徘徊したが、ピンとくる店を見つけられず、腹の減り具合に限界を感じ、結局、吉牛のような店で親子丼を食べた。全く、こんなひもじい思いをするなら、おとなしく名古屋で飯を食べればよかった。

今日泊まる約束のM君の家には夜に着くと言っておいた。M君は今日バイトのため、夜にならないと帰れないとのことだった。これで大阪も見る事ができる。

大阪の改札を出て、人ごみの中を歩いていると、六十歳くらいの気の良さそうな男が声をかけてきた。

「阪急の乗り場どこか知ってます?」
「大阪初めてなんで、ちょっとわかりません。すみません。」
「何か旅行ですか?」

僕の寝袋を見て、男は聞いてきた。

「はい、ちょっと九州を廻ってみようと。」

僕がこう言うと、男はにっこりと笑い、

「いいですね、僕も若いときよく一人旅をしました。」

話を聞くと、彼はバイクを盗まれその中にお金もキャッシュカードも身分証明書も入っていたらしい。警察に言っても今日はもう動けないと言われ、八方塞がりで、明日までどうするか途方に暮れていたという事だった。小銭と時間はあるので、コーヒーでも飲んで旅の事を話そうと言われ、僕も時間があったので、近くの喫茶店に入り、コーヒーをおごってもらい、3時間も僕達はお互いの色々な事を話した。そのおじさんは長崎大の教授で、マグロのメスだけが生まれるようにする研究をしているのだという。今の時期は学生達が、そのおじさんの家に住み込んで研究しているから、僕も長崎に行った時はそのおじさんの家に泊まっていいと言われた。そして、そのおじさんの昔の旅の話も、これから初めて一人旅に出る僕にとっては新鮮なものだった。僕は、心弾んでいた。初めての一人旅。一日目から知らない人とこんなにも長い時間話をして、九州の長崎に泊まる所もできた。長崎のおじさんの家の住所と電話番号、携帯の番号も教えてもらった。名前は仙石と書いてあった。教授っぽい名前だ。なんたって仙人の石だ。これで、僕の旅の道もかなり開けてきたような気がした。別れ際、僕から聞いた。

「今日はどうするんですか?」
「今日はとりあえず野宿でもして、明日になれば警察がなんとかしてくれるよ。でも、もしできたらでいいんだけど、長崎まで帰るお金貸してほしいんだけど。でも、だめだったら、明日までの辛抱だからいいんだ。」

僕は完全に彼を信じきっていた。3時間もの間おじさんがした具体的な話と、始めての一人旅の不安を拭い去ってくれたこのおじさんを。信じていたが、念のため確認として

「おじさんが書いてくれた自宅の電話番号に電話していいですか?」

と聞くと、

「今、おばあちゃんしかいないから出れないと思うんだよね。」

とおじさんは苦笑いをした。

「じゃあ、いいですよ。」

と僕も笑いながら言った。この一言で明暗が分かれた。僕は長崎までの飛行機代として2万円のお金をそのおじさんに渡した。明日までに振り込めるようにと、口座番号を書いて渡した。お金を貸した後も、僕に無事九州に着けるようにと、おじさんは時刻表に印をつけてくれた。

「気を付けて、旅をするんだよ。」

と最後に言われ、僕達は別れた。

 おじさんと別れた後、まだ時間があったので、僕はユニバーサルスタジオに行った(貧乏旅行なので入り口まで)。目当てはCMで観た大きな地球儀。僕の服装と荷物はかなりの場違いだったが、そんなことは気にしてはいられない。せっかく来たんだから写真撮らなきゃな。この地球儀が僕の中でのユニバーサルスタジオの全てなのだから。自分で地球儀の前で写真を撮った。だが!こんなに恥ずかしい思いをしたのに、できた写真はピンぼけをしていて、なんだかモヤ~っとしてて・・・。とにかくさえない写真になってしまった。はあ。

その後はユニバーサルスタジオの隣駅の桜島というところで夜景を見た。観覧車とビルの明かりがなかなか綺麗だ。横浜の夜景を思い出す。でもちょっと風が強く寒かった。

そして、僕は高校のバスケ部時代の友達M君の住む天王寺へと向かった。駅に着くともうすでにM君は待っていてくれた。M君は身長190cm近くもある巨体で、そのくせ小さいチャリンコに乗って迎えにきていた。久しぶりに会ったが相変わらずでかい。それに加え、彼は極度の油症だ。高校の時はそれをネタにして、油取り紙をおでこにつけてみんなを笑わせていた。ある日の彼の顔はテッカテカに光っていた。

「なんでそんなに油出てんの。」

なんて地球上の日常会話ではあまりないような事を聞くと、

「天ぷら食べた次の日はこうなるんだ。」

なんて、これまた変な返答をしてきたこともあった。 まあ、こんな話はどうでもいい。

僕達は二人乗りをして松浦の家に向かった。家に着くとM君は僕のためにすでにカレーを作ってくれていた。優しい奴だな~。油症なんて言ってほんとすんません。僕達はカレーを食べながら、今日大阪駅で会ったおじさんの事を話した。僕が、金を貸した事を言うと、M君は「あ~あ。」といった表情を見せた。

「それ、詐欺じゃないの?」
「何言ってんだ。そんな事ないって。3時間も話したんだぜ。」

そう言ったものの、僕は急に不安になっていった。

「電話番号だって聞いたし。」

そういえば、結局電話かけなかったんだ。そこで、僕は電話をかける事にした。

「おかけになった電話は現在使われておりません、番号をお確かめに・・・」

あらら~、あのおじさん電話番号間違えちゃったんだな、おっちょこちょいだな。よし、長崎大にかけてみよう。

「ここ長崎大学にはそのような名前の教授はいらっしゃいませんが。」

 僕は震える手で電話を切った。

僕はその電話の後、せっかくM君が作ってくれたカレーが喉を通らなかった。正直泣きそうなくらいつらかった。2万円という金額も確かに大きいが、それ以上にあの人のよさそうなおじさんに裏切られた事がショックだった。あんなに色々な事を話し、完全に信じていたのに。九州の長崎に泊まる所もでき、初めての一人旅の道が開けてきたと思ったのに。そのすべてが嘘だったなんて。おじさんが名乗っていた仙石という名前すら偽名なのだろう。

僕は少し浮かれていたのかもしれない。今考えると、長崎からわざわざバイクで来る教授がいるだろうか。警察だって、一日泊まるくらいのお金くらいは貸してくれるだろう。だが、他の話は実によく考えられていて、その場にいては疑う余地のないものだった。でも、そのおじさんのバックには競馬新聞が挟んであった。学会できている教授が競馬新聞を持っているだろうか。身なりも少し胡散臭いといえば、胡散臭かった。もう少し疑ってかかるべきだった。僕は完全に騙された。結局、お金はいつになっても振り込まれてこなかった。だが、そのおじさんはお金を渡した後も、僕に親切に電車の時刻を教えてくれた。彼はあまりにも信じ切っていた僕を見て、少し罪悪感を感じていたのかもしれない。大阪駅で僕は大きいバックパックを背負い寝袋をぶらさげて、あたりをキョロキョロして歩いていた。おじさんから見たら、僕はまさにカモがネギを背負って「串焼きにしておくれ~。」と言いながら歩いているように見えたに違いない。僕があまりに未熟だった。

 今考えると、あの時僕が詐欺のおじさんに会わなかったら、後に出たアメリカ横断の旅や、東南アジアの旅で、もっとひどい目に遭っていただろう。アメリカではフレンドリーなおっちゃんが置き引きだと見破ることができた。東南アジアでは、詐欺まがいな事は日常茶飯事だったが、毅然とした態度で対応する事ができた。始めての一人旅、初日に遭ったこの詐欺で、僕は2万円を払う事になった。だが、この詐欺から学んだ事は大きかった。2万円は高い授業料として自分の中で解釈するしかなかった。今はそう解釈する事ができる。今であれば。

 しかし、その日はさすがにショックは大きく、カレーもほとんど食べずに僕は寝込んでしまった。

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