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ヒッチハイクの旅 九州編 アーカイブ

2006年08月01日

その時大学生はヒッチハイクの旅に出た

一年の浪人生活を終え僕は大学に入った。浪人生活頑張ったのかと言われると首を傾げてしまう。だが勉強はあまり集中してできなかったとしても苦労はした。この経験は十分に挫折と呼べるものであったと思う。苦しかった。

この経験で精神的に一皮剥ける事ができたのは確かだった。浪人する前の自分を見つめ直すと、ちゃらんぽらんもいいとこで、何も考えずに遊び狂っていたように思える。浪人生活、いい勉強になった。まあ、社会に出たばかりの今の僕も、まだ何も知らないケツの青いヒヨッ子なんだけども。

とにかく、浪人生活という不安だらけの生活から抜ける事のできた僕は、大学という華やかなイメージのある生活に足を踏み入れた。

東京にあるキャンパスは神奈川の実家から一時間半程かかる場所にある。一人暮らしをしたかったが、東京の家賃が高いため、両親から「家賃は払わない。」ときっぱり言われ、結局実家から通学することになった。

入学式の日に勧誘を受けたバスケサークルに入った。しかし、小学校から高校まで部活のバスケを続けてきた僕は、そのサークルの練習や試合に物足りなさを感じていた。

サークルで次々と増える知り合いと、大人数で飲み会をするのも確かに楽しかった。だが、表面的な付き合いだけの知り合いが増えていく事に疑問を感じてきていた。携帯電話のアドレス帳だけがその数を増やしていく。遊んだりするのはほとんど地元の友人達なのに。。。

苦労してバイトで入った給料が飲み代ですぐになくなっていく事にも徐々に嫌気がさしてきた。そして、僕はサークルに徐々に参加しなくなっていった。

大学の授業はというと、高校の授業とは比べ物にならないほどハイレベルなもので、僕には理解できないものが多く、好きだった教科への興味もどんどん小さくなっていった。

『なんで、こんなにも面倒臭くて、つまらない大学に通ってるんだろう。何か意味あんのかな。』

満員電車を降り、学校に向かい歩いている途中、ふとそんな事を考える事が時々あった。

僕は、毎日満員電車に乗り、理解を超えた授業を受け、たまにサークルに顔を出し、帰ってきてバイトに行く。こんな日々に疲れていた。そして、物足りなさを感じていた。

『何か今までと違う刺激的な事がしたい。それも、他の人がやっていないような事が。』

大学に通いながら、僕はそんな事を考えていた。一年生後期のテスト期間中その想いはどんどん大きいものになっていった。

テストも終わり、久しぶりにその時に付き合っていた彼女と映画でも観ようと、待ち合わせ場所に行った。彼女は僕より先に着いていて、僕を見つけるとなぜか微妙な表情を見せた。理由などその他諸々の事は面倒なのでここでは書かないが、とにかく結果を言うと、ふられた。テストから開放された上に、彼女と遊ぶ時間からも開放されてしまったのだ。まいった。大学の春休みというのは非常に長い。春休み後半に、大学の友達と車の免許の合宿に行くが、それを差し引いても約一ヶ月半近くもある。

それから三週間ほどバイトをしたり、友達との遊んだり、それ以外の時間は家でごろごろするだけの生活をした。しかし、どうも暇な時間が多すぎた。そして、あっという間に時間が過ぎてしまったように感じた。この休みの期間の思い出がほとんどない。まるで、記憶喪失になってしまったようだった。僕は記憶に残るような事をほとんどしていなかったのだ。車の免許合宿まで約3週間、この生活を続けていたら、脳味噌がつんつるてんになって、耳から溶け出してきてしまうような気がした。そして何よりこんなにも長い休みを何もしないでいる事がもったいないと思った。

そんな時、『何か今までと違う刺激的な事がしたい。それも、他の人がやっていないような事が。』とテスト期間中ふと考えた事を思い出した。そして、これを実行するのは今なんじゃないかなと思った。

時間はある。まあ金はあんまりないけど。そうだ、貧乏一人旅をしよう。どうせなら本州を離れたい。僕は生まれてこの方本州からも出た事もなかった。でも、北海道の冬の貧乏旅行はさすがに厳しいだろう。野宿もできないし(貧乏旅行=野宿という方程式がこの時の僕の頭にはあった)。じゃあ、できるだけ暖かい九州かな(非常に単純な考え)。どんな旅行にしようか。そんな事を考えていると、何年か前のあるテレビ番組が頭に浮かんだ。あるお笑い芸人が、ヒッチハイクで世界を旅するといものである。彼らの身に次々と起こる、日常では味わう事のできない多くの出来事は、僕が求めていた<それ>に限りなく近かった。何が起こるかわからないその一日一日は、僕を刺激する事間違いなしという確信に近いものがあった。

そうして、2002年3月1日僕はヒッチハイクの旅に出た。

2006年10月23日

2002年3月1日 出発、そして旅初日に受けた洗礼

朝6時ようやく夜が明けてきた。電車の窓からは真鶴の海がうっすらと見える。

重いバックパックを背負って、自宅から最寄駅である藤沢駅まで徒歩でいったが、思ったより時間がかかってしまい、5時15分の始発にギリギリで飛び乗った。昨日は友人達と「いってらっしゃい飲み」という面目で、朝方まで飲み明かし、結局旅に出る前日というのに2時間程しか眠れなかった。少しでも体力の回復を図ろうと、がらがらの車内の座席で僕は横になった。しかし、どうも眠くならない。初めての一人旅のため少し興奮しているのだろうか。僕は眠るのをあきらめ、電車の窓の外を見た。そこには、朝日が射してキラキラと光っている朝6時の真鶴の海が見えた。

車の免許の合宿までの日程を考え、約二週間程の旅をしようと思った。そうなると、時間的余裕を考えとりあえず九州までは電車で行き、九州に入ってからヒッチハイクで廻るのがいいと思った。だが、手持ちの金は7万。もちろん新幹線なども使えるはずもない。そこで、僕は青春18切符を使う事にした。

青春18切符とは普通乗車券で乗ることのできる電車なら、約一万円で5日分いくらでも乗り降りできる便利で格安の乗車券である。この乗車券の使い方としては、一枚の大きめの乗車券に5つの枠があり、乗った日付の判子を一つの枠に押してもらい。駅で降りる度にその判子を押された乗車券を見せれば、改札を出入りできるという実に便利なものである。僕が友達に青春18切符の事を話すと、その切符の存在を知らなかった人は、みんな口を揃えて「18歳じゃなくても使えるの?」なんて事を聞いてくる。もちろん青春18切符だからといって、18歳でなければ買えないなんてことはない。お爺さんだって使えるし、幼稚園の子供も使う事ができる。でもなんで青春18切符という名前なのだろう。知っている人がいたら、教えてください。

僕は真鶴の海を少し眺めたあと、旅に出る前に買っておいた小型全国電車時刻表を見る。もちろん、鈍行電車を使い一日で九州に着く事は不可能なので、2日かけて九州を目指す。今日は大阪の大学に通っていて、大阪長期出張中の親父と二人暮しをしている、高校のバスケ部で一緒だった同級生のM君の家に泊めてもらえる事になっていた。とりあえず今日の目的地は大阪の天王寺という駅だ。

静岡では乗換えまでに少し時間が空いた。電車から降りると、朝8時の冷たい風が吹いている。やはり寒い。寝袋を友達から一つ借りて、僕の物と合わせて二つも持ってきたはいいが、この寒さで野宿ができるだろうか。九州なら少しは暖かいかなと思っていたが、甘い考えだったかもしれない。ま、いっか。なんとかなるっしょ。駅には、自転車を解体して電車に乗りこんでいる青年がいた。年は僕より少し上に見える。彼も一人旅であろうか。

僕も自転車(ママチャリ)で少し遠出をした事があるが、あれはなかなか厳しい旅の方法であると思う。最初は友達みんなでワイワイ話しながら走っているのだが、時間と共に友人達との会話はなくなっていき、無言でペダルをこぐ時間が長くなっていく、そして、僕の表情と同じく友人達の表情も時間と共に生気を失っていき、みんな埴輪のように目の部分が黒い影のようになっていった。僕の自転車(何度も言うがただのママチャリ)が長距離用でなかったためか一日を走り終えると、僕の尻のサドルに面していた部分は猿のように真っ赤になっていた。そして、疲労と尻の痛みのため、帰り道が地獄を彷徨っているかのような気分だったのを覚えている。僕はチャリダーを尊敬している。あれだけの過酷な旅、僕にはできないかもしれない。ちなみに、チャリダーという言葉は北海道を旅した時に聞いて知った。バイクで旅をする人はライダー。自転車、俗に言うチャリで旅をする人はチャリダーなのである。まあとにかく、心から僕は思う。あっぱれチャリダー。

 静岡で電車を乗り換え、僕が次に電車を降りるのは名古屋。腹が減ってきたからそこで何か食べようかな。

豊橋を出た頃によく晴れてきた。奄美半島と知多半島に挟まれた湾が見える。何て名前の湾であろう。地図には書いていない。太陽の光を反射しキラキラと光っている。気分がいい。ふいに少し自分の口元が少し笑っている事に気が付く。そして、今回の始めての一人旅、必ずいい旅になると思った。まあ、この日僕は洗礼とも言うべき事件に出くわす事になるのだが・・・。

 名古屋で昼飯を食べようと降りたが、僕は名古屋駅周辺でローカルな感じの店を探す事ができなかった。夫婦で店をやっていて、おばちゃんパーマ、さらに紫のメッシュをかけた店のおばさんが、いい笑顔で「いらっしゃい!」と僕を迎え入れてくれるような所で昼飯を食べたかった。僕は名古屋での昼飯を我慢し、また電車に乗った。次の乗り換えは亀山という駅。ここでようやく眠気がきて、この道のりはずっと寝ていた。

肩をポンポンと叩かれ僕は眼が覚めた。「ここで、この電車終わりよ。」とその電車に乗っていたおばちゃんが起こしてくれたのだ。ここは亀山。電車を乗り換えようと、階段を登りホームに着くと、そこには一両のみのかわいらしい電車が止まっていた。そのかわいらしい電車に乗り込み席に座ると、周りの部活帰りの高校生達の話す言葉がなまっている事に気がつく。その時僕は少し遠くに来たんだという気がした。電車は山の中を進んでいき、窓からは川やら畑が見える。正直、結構田舎を走っている。

加茂という駅で乗り換えに30分ほど時間が空いた。少し駅を出て歩いてみる事にする。しかし、人が見当たらない。昼飯は大阪まで我慢するしかなさそうだ。

大阪。ここの人の多さは東京に負けていない。だが、僕の求めているものはローカルな定食屋。こんな東京みたいな人ごみなんかじゃない。しばらく街を徘徊したが、ピンとくる店を見つけられず、腹の減り具合に限界を感じ、結局、吉牛のような店で親子丼を食べた。全く、こんなひもじい思いをするなら、おとなしく名古屋で飯を食べればよかった。

今日泊まる約束のM君の家には夜に着くと言っておいた。M君は今日バイトのため、夜にならないと帰れないとのことだった。これで大阪も見る事ができる。

大阪の改札を出て、人ごみの中を歩いていると、六十歳くらいの気の良さそうな男が声をかけてきた。

「阪急の乗り場どこか知ってます?」
「大阪初めてなんで、ちょっとわかりません。すみません。」
「何か旅行ですか?」

僕の寝袋を見て、男は聞いてきた。

「はい、ちょっと九州を廻ってみようと。」

僕がこう言うと、男はにっこりと笑い、

「いいですね、僕も若いときよく一人旅をしました。」

話を聞くと、彼はバイクを盗まれその中にお金もキャッシュカードも身分証明書も入っていたらしい。警察に言っても今日はもう動けないと言われ、八方塞がりで、明日までどうするか途方に暮れていたという事だった。小銭と時間はあるので、コーヒーでも飲んで旅の事を話そうと言われ、僕も時間があったので、近くの喫茶店に入り、コーヒーをおごってもらい、3時間も僕達はお互いの色々な事を話した。そのおじさんは長崎大の教授で、マグロのメスだけが生まれるようにする研究をしているのだという。今の時期は学生達が、そのおじさんの家に住み込んで研究しているから、僕も長崎に行った時はそのおじさんの家に泊まっていいと言われた。そして、そのおじさんの昔の旅の話も、これから初めて一人旅に出る僕にとっては新鮮なものだった。僕は、心弾んでいた。初めての一人旅。一日目から知らない人とこんなにも長い時間話をして、九州の長崎に泊まる所もできた。長崎のおじさんの家の住所と電話番号、携帯の番号も教えてもらった。名前は仙石と書いてあった。教授っぽい名前だ。なんたって仙人の石だ。これで、僕の旅の道もかなり開けてきたような気がした。別れ際、僕から聞いた。

「今日はどうするんですか?」
「今日はとりあえず野宿でもして、明日になれば警察がなんとかしてくれるよ。でも、もしできたらでいいんだけど、長崎まで帰るお金貸してほしいんだけど。でも、だめだったら、明日までの辛抱だからいいんだ。」

僕は完全に彼を信じきっていた。3時間もの間おじさんがした具体的な話と、始めての一人旅の不安を拭い去ってくれたこのおじさんを。信じていたが、念のため確認として

「おじさんが書いてくれた自宅の電話番号に電話していいですか?」

と聞くと、

「今、おばあちゃんしかいないから出れないと思うんだよね。」

とおじさんは苦笑いをした。

「じゃあ、いいですよ。」

と僕も笑いながら言った。この一言で明暗が分かれた。僕は長崎までの飛行機代として2万円のお金をそのおじさんに渡した。明日までに振り込めるようにと、口座番号を書いて渡した。お金を貸した後も、僕に無事九州に着けるようにと、おじさんは時刻表に印をつけてくれた。

「気を付けて、旅をするんだよ。」

と最後に言われ、僕達は別れた。

 おじさんと別れた後、まだ時間があったので、僕はユニバーサルスタジオに行った(貧乏旅行なので入り口まで)。目当てはCMで観た大きな地球儀。僕の服装と荷物はかなりの場違いだったが、そんなことは気にしてはいられない。せっかく来たんだから写真撮らなきゃな。この地球儀が僕の中でのユニバーサルスタジオの全てなのだから。自分で地球儀の前で写真を撮った。だが!こんなに恥ずかしい思いをしたのに、できた写真はピンぼけをしていて、なんだかモヤ~っとしてて・・・。とにかくさえない写真になってしまった。はあ。

その後はユニバーサルスタジオの隣駅の桜島というところで夜景を見た。観覧車とビルの明かりがなかなか綺麗だ。横浜の夜景を思い出す。でもちょっと風が強く寒かった。

そして、僕は高校のバスケ部時代の友達M君の住む天王寺へと向かった。駅に着くともうすでにM君は待っていてくれた。M君は身長190cm近くもある巨体で、そのくせ小さいチャリンコに乗って迎えにきていた。久しぶりに会ったが相変わらずでかい。それに加え、彼は極度の油症だ。高校の時はそれをネタにして、油取り紙をおでこにつけてみんなを笑わせていた。ある日の彼の顔はテッカテカに光っていた。

「なんでそんなに油出てんの。」

なんて地球上の日常会話ではあまりないような事を聞くと、

「天ぷら食べた次の日はこうなるんだ。」

なんて、これまた変な返答をしてきたこともあった。 まあ、こんな話はどうでもいい。

僕達は二人乗りをして松浦の家に向かった。家に着くとM君は僕のためにすでにカレーを作ってくれていた。優しい奴だな~。油症なんて言ってほんとすんません。僕達はカレーを食べながら、今日大阪駅で会ったおじさんの事を話した。僕が、金を貸した事を言うと、M君は「あ~あ。」といった表情を見せた。

「それ、詐欺じゃないの?」
「何言ってんだ。そんな事ないって。3時間も話したんだぜ。」

そう言ったものの、僕は急に不安になっていった。

「電話番号だって聞いたし。」

そういえば、結局電話かけなかったんだ。そこで、僕は電話をかける事にした。

「おかけになった電話は現在使われておりません、番号をお確かめに・・・」

あらら~、あのおじさん電話番号間違えちゃったんだな、おっちょこちょいだな。よし、長崎大にかけてみよう。

「ここ長崎大学にはそのような名前の教授はいらっしゃいませんが。」

 僕は震える手で電話を切った。

僕はその電話の後、せっかくM君が作ってくれたカレーが喉を通らなかった。正直泣きそうなくらいつらかった。2万円という金額も確かに大きいが、それ以上にあの人のよさそうなおじさんに裏切られた事がショックだった。あんなに色々な事を話し、完全に信じていたのに。九州の長崎に泊まる所もでき、初めての一人旅の道が開けてきたと思ったのに。そのすべてが嘘だったなんて。おじさんが名乗っていた仙石という名前すら偽名なのだろう。

僕は少し浮かれていたのかもしれない。今考えると、長崎からわざわざバイクで来る教授がいるだろうか。警察だって、一日泊まるくらいのお金くらいは貸してくれるだろう。だが、他の話は実によく考えられていて、その場にいては疑う余地のないものだった。でも、そのおじさんのバックには競馬新聞が挟んであった。学会できている教授が競馬新聞を持っているだろうか。身なりも少し胡散臭いといえば、胡散臭かった。もう少し疑ってかかるべきだった。僕は完全に騙された。結局、お金はいつになっても振り込まれてこなかった。だが、そのおじさんはお金を渡した後も、僕に親切に電車の時刻を教えてくれた。彼はあまりにも信じ切っていた僕を見て、少し罪悪感を感じていたのかもしれない。大阪駅で僕は大きいバックパックを背負い寝袋をぶらさげて、あたりをキョロキョロして歩いていた。おじさんから見たら、僕はまさにカモがネギを背負って「串焼きにしておくれ~。」と言いながら歩いているように見えたに違いない。僕があまりに未熟だった。

 今考えると、あの時僕が詐欺のおじさんに会わなかったら、後に出たアメリカ横断の旅や、東南アジアの旅で、もっとひどい目に遭っていただろう。アメリカではフレンドリーなおっちゃんが置き引きだと見破ることができた。東南アジアでは、詐欺まがいな事は日常茶飯事だったが、毅然とした態度で対応する事ができた。始めての一人旅、初日に遭ったこの詐欺で、僕は2万円を払う事になった。だが、この詐欺から学んだ事は大きかった。2万円は高い授業料として自分の中で解釈するしかなかった。今はそう解釈する事ができる。今であれば。

 しかし、その日はさすがにショックは大きく、カレーもほとんど食べずに僕は寝込んでしまった。

3月2日 ノックダウンin大阪

次の日の朝は遅く、僕は12時に起きた。

昼飯までご馳走になってしまった。M君は今日もバイトで昼飯を食べると、出かける予定だった。僕はというと、おととい飲み会をしたためにほとんど睡眠を取れなかったのと、詐欺のショックも重なり、全く動く気がしなかった。図々しくも、もう一泊M君の家に泊まらせてもらう事にした。M君が出かけた後、僕はまた布団に入り、そして寝た。

そして、起きたのは夕方の6時、テレビをつけると吉本新喜劇がやっていた。口元は笑うがあまり元気が出なかった。さすがにまた夕飯をご馳走になるのも迷惑だし、大阪らしいものも、食べてなかったので、散歩がてらふらふら家のそばを歩いた。たこ焼き屋があったので、たこ焼きを一パック買った。たこ焼きは美味かったが、なぜか少しさみしい気持ちになった。見知らぬ土地、しかも都会の大阪を一人で歩いているせいだろうか。さらに、気分が落ち込んでいるせいもあるのだろう。

M君は夜10時過ぎに帰ってきた。M君は不器用ながらも僕を励ましてくれた。そうだ、これで帰ったらただの阿呆だ。十分寝て、体力も回復した。明日九州に向かおう。

2006年10月24日

3月3日 大阪、広島そして九州へ

この日、僕は朝7時半にM君に礼を言い家を出た。M君には本当に迷惑をかけた、久しぶりに会ったのに、ずっとテンションどん底の状態だった。今度地元神奈川に帰ってきたら礼をしなきゃな(未だこれといった礼をしてないような気もするが)。

M君は別れ際、少し笑いながら僕にこう言った。

「お前死ぬなよ。」

小学生、中学生などは、こんなことを夏休み前の終業式の日に冗談でよく言う。だが、この時M君が僕に言った言葉は、半分が冗談で、半分が本気だったような気がした。大丈夫。もう騙されたりしないしさ。

このままおめおめ帰ったら負け犬だ。負け犬なんてまっぴらごめんだね。ヒッチハイクの旅をやるって決めたんだから、絶対やってやる。

今日には九州に着ける。でも、僕は九州に行く前に行きたい所が二つあった。その一つが原爆ドームだ。まずは広島駅に行く事にした。広島駅で降り、路面電車を使い、原爆ドームまでいった。初めて原爆ドームの実物を見た。僕が生まれる前に原爆が落とされ多くの人が一瞬で死んだ。その事実は知っているが、この原爆ドームを見てもどうも実感は湧いてこなかった。今思うと僕は見る順番を間違っていた。近くにある広島平和記念資料館を先に見てから、原爆ドームを見るべきだった。近くの石碑にお供え物をしている老婆がいる。若者も多い。外国人も多い。近くのベンチでいちゃついているカップルなんてのもいた。日曜という事もあり、人は非常に多かった。

僕は原爆ドームを見た後、さっきも書いた広島平和記念資料館を見て廻った。記念館の中には多くの修学旅行の学生がいて、「すげー!」「うぉー!」などと騒いでいる。これが本当に不快だった。ここで、感じた事は多かったが、それを文章で書き表せる程、僕には文章力と表現力がない。これは一人一人が、実際に広島あるいは長崎平和記念資料館に行き、見て感じるべき事であると思う。ただ、これだけははっきりと言える。戦争はあってはいけない事だと。後に僕は東南アジアを旅した時にカンボジア、ベトナムに行った事で、その考えは決して間違ってないと一層核心が持てるようになった。

その後、僕はもう一つの行きたかった場所、日本三景の一つである、宮島を目指す。路面電車に再び乗り、宮島までの行き方を聞いたおばちゃんと話しながら、なんとかフェリー乗り場に着く事ができた。フェリー出発まで少し時間があったので、宮島名物もみじ饅頭のそれぞれ中身の違うものを2個買い、それをほおばりながら、フェリーに乗り込んだ。実はこのフェリー、青春18切符の乗車券で乗る事ができた。どうやらJRと提携しているらしい。ほんの数分のフェリーだったが、眺めはよかった。丁度夕暮れ時に着いたのもよかった。遠くに大きな鳥居が見える。

とりあえず鳥居を目指し、てくてく歩いていく。ここ宮島には鹿が我が物顔でうろうろしている。鹿の糞があちこちに散乱している。安全のため角を削られた鹿同士が、頭をぶつけて喧嘩をしている。

僕は修学旅行で鹿で有名な奈良公園に行った事があった。中学生の時の修学旅行で一回。さらに高校生の時の修学旅行でもう一回。ここで、「えっ、高校の修学旅行でまた京都・奈良に行ったの?」と思った人もいるかもしれない。そう、僕の高校の修学旅行は京都・奈良なのだった。普通、関東の高校の時の修学旅行と言えば、北海道、沖縄。私立高校になると、海外に行ったりしている高校も少なくないと思う。僕の高校も、一つ上の学年までは修学旅行は東北<まあどっちにせよちょっとしょぼいが>だった。だが、うちの高校には男子生徒の中で、代々脈々と受け継がれてきた東北修学旅行の裏目的があった。それは、のぞきである。僕よりも遥か先代のある男子生徒が見つけ出したその聖域と呼ばれる場所。そこからは女風呂が驚くほど見えてしまうのだそうだ。修学旅行の宿舎は毎年同じ所だった。代々多くの男子生徒がその「聖域」の恩恵に預かろうと足を運び、

「ありがたや、ありがたや~。」

と言ったそうだ。ところが、僕の一つ上の代でその聖域は、ある教師に侵略されてしまった。のぞきをしていた連中は長時間正座の刑を受けたらしい。そして、この伝統は上の代でぷっつりと途絶えてしまった。さらに、宿舎を変えれば済むものを、教師達は修学旅行の場所まで変更してしまったのだ。その事件が男子学生の間で広まるスピードと言ったら、光に近いものがあったかもしれない。とにかく、我々男子生徒はこの事件のあまりにも重い対応にがっくりと肩を落とした。このような、マヌケな歴史的背景を含み、僕達の学年は京都・奈良の修学旅行に行く事になった。僕を含めた多くの学生は中学で京都・奈良に行っていて、みな不安を持っていた。自由行動の日、僕達の班は大阪へ繰り出し、変な商店街でパチンコをした。班員の一人は隣に座っていた謎のおばちゃんの助言をたよりに、元手二千円で一万五千円近く儲けてしまった。その金で、美味しいお好み焼きやら、赤石焼きやらを食べたのを覚えている。

京都は今になってはとても見て廻りたい土地であるが、高校生の時の僕にとっては少し退屈な場所であった。寺を見てぼ~っと想いにふける。高校生の僕にはそんな事をして考える物事自体がなかったのかもしれない。みんなもそうだったでしょ。

話がかなり脱線してしまったが、言いたい事は修学旅行で見飽きた鹿に興味はないのである。どきなさい、鹿共。

数分歩くと鳥居に着いた。今日のこの時間は丁度干潮らしく、鳥居の下まで歩いて行く事ができた。苔の生えた地面にはしゃがんで何かをしている人達が点々としている。その中の一人に近づいて聞いてみると、アサリを取っているのだと言う。バケツには多くのアサリが入っていた。僕は水溜りを避けながら鳥居の下まで歩いた。でかい。鳥居の両側に付いた三本の脚は、一つ一つが一本の木からできている。海水のせいで塗料のはがれた所からは木目が見える。脚の部分は身の丈ほどまで苔がびっしりと生えている。満潮時にはここまで、水面が上がるのだろう。

日本三景なんてたいしたことないよ、なんて事を言う人がいる。だが、僕はそう思わなかった。オレンジ色の夕日をバックに、赤く、そして巨大な鳥居を見た。所々にある水溜りには、僕に向かって真っ直ぐ伸びている夕日が映っている。それは確かに美しかった。派手さのある景色ではないかもしれない。でも、それはいかにも日本的で、落ち着いた景色だった。

夕焼けの宮島。日本三景、三本勝負の先手を見事に勝ち取った。いつか、残りの日本三景もいつか自分の目で見て、この三本勝負の白黒をつけようと思った。そして、この年の夏休みに旅行に行く途中、松島を見に行った。とにかく行動に出てみるのが僕のモットーだ。

僕はあえて、観光に来ていた外国人に写真を撮ってもらおうと、乏しい英語で頼んだ。

「ク、クジューテークアフォト?」

白人のカップルは快く受け入れてくれて、夕日と鳥居をバックに写真を撮ってもらった。

「センキュー!」

と僕が礼を言うと、

「ノープロブレム」

とさすが欧米人というウィンクをしながらカメラを手渡してくれた。

まじめにやってきたかどうかは別として、何年も英語は勉強してきたはずなのに、なんでこんなにも僕は英語を話す事ができないのだろう。その時僕は、もっと英語を話せるようになりたいと思ったのを覚えている。

次に僕は厳島神社を見て廻った。全体的に赤く塗られた内装を見ると、時代劇の映画の中に入り込んだようだった。いつか満潮時に来てみたいと思った。そして、海の上に建っているこの神社を歩いてみたい。一部は修復工事のため入る事ができなかった。ご存知の方もいると思うが、台風が来るたびここ宮島はニュースに出る。海の上に建っているこの神社や鳥居は、台風の影響をもろに受けて、度々修復作業をしている。

ここ宮島では様々な特産品と呼ばれる物が売られている。まずはお馴染みもみじ饅頭。これは様々な種類の中身があり、チーズなんてのもあった。是非お試しを。そして、杓子がここ宮島では有名である。あの、ご飯をよそう時に使う杓子である。こんな変わり物土産も面白いかもしれない。僕は荷物になってしまうので買わなかったけど。さらに、他にも様々な土産があるので、是非宮島に行ったときは、気のいい人がやっているお土産屋を見つけて、なんか買っていくのもいいと思う。

さて、宮島を出た僕は九州を目指す。博多の近くにこれまた高校の友達のH君が、九州の大学に通うため一人暮らしをしていて、そこにお世話になる予定だった。時刻表を見るとH君が住んでいる博多手前の駅、箱崎には今日の夜十二時ぐらいに着くことになる。H君に到着時間をメールした。

ふと、電車の中の広告を見ると、青春18切符の広告があった。その広告には草原を背景に、こんなことが書いてあった。

「たんぽぽみたいに、旅に出た。」

少しその広告を眺め少し笑ってしまった。僕はまさにそれを実行していた。胸のあたりが少し熱くなった。絶対いい旅にしてやる。

箱崎の駅に着くとH君は待っててくれ、家まで歩きながら詐欺に遭った話で盛り上がった。僕はもう詐欺の事をネタにできていた。もう踏ん切りはついた。あんな詐欺の経験は俺の糧にしてやるよ。H君に詐欺の話をした時には、後の旅を楽しもうという気になっていた。

H君の家は片付いていて、宇多田ヒカルのTravelingのDVDを見ながら、かわいいな~なんて事を話していた。

今日は旅一日目より疲れなかったような気がする。一日目は、初めての事だらけで緊張しっぱなしだったのかもしれない。そういえば、いつの間にか本州を出ていた。せっかく生まれて初めて本州を出たのに。何か知らぬ間に九州に入っていて、少しあっけなかったが、とにかく僕は九州に上陸する事ができた。

この写真、広島の宮島へもみじ饅頭を食べながら船で移動中。右上に鳥居がある。 img001.jpg

2006年10月25日

3月4日 夜の街中州へ

今日の朝はゆっくりだ。十一時に起床。H君が広島風お好み焼きを作ってくれた。慣れた手つきで作っている。どうやら台所や冷蔵庫を見る限り、H君はちゃんと自炊ができているようだ。広島風お好み焼きもうまい。お好み焼きに挟まれた焼きそばもうまい。いや~、なんか旅に出てから今まで友達の世話になってばかり。明日から頼る当てのない旅にでるが、大丈夫なのだろうかという不安が少し湧いてきた。夕方になったら、大学の友達と一緒に遊ぼうという事になっていたが、それまで時間があった。家でグダグダしながらH君と話をした。

H君とはクラスも一緒になった事がないし、部活も違った。だが、友達の友達という具合で知り合い、高校の体育祭の時に仕事を一緒にした事で仲良くなっていた。H君も、僕と同じく一浪で大学に入った。浪人中もH君とは予備校の自習室の前でよく話していたものだ。浪人をした事のある人は、この自習室の前での友達との雑談の面白さがわかるだろう。くだらない話で本当に盛り上がってしまうのである。

H君と家で話をしていると、どうやら彼も大学生活に何か物足りなさを感じているようであった。そんな、物足りない大学生活を打開すべく、彼はこの年の夏休みにイギリスへ短期留学をする事になっていた。

短期留学。H君のその話を聞いて、それもいいかもとその時僕は考えた。いつか、行ってみたい。パスポートさえ持っていない僕は、いつ行くことができるのだろう。いや、いつでもいけるはずだ。問題は金だな。H君も言っていたが、とにかく短期留学には金がかかると。バイトして金がたまったらいくっきゃないなと思った。そして、次の年、2003年春休み。僕はオーストラリアに6週間短期留学をした。十万円程両親から借金をして、短期留学から帰ってきてからはバイトをしながら月々二万円づつ返していった。やろうと思ったら大体の事は実現できるものなのだと思う。あ~、そういえば、毎日学食のかけそば食って節約してたな~。かけそばに胡麻をかけて、

「胡麻を入れて栄養バランス考えなきゃね。」

なんて言ってたな~。僕の周りの友人達もかけそばや、カップラーメンで節約をしていた。そんな時僕は、ホント学生って金のないものだとしみじみ思う。まあ今となっては貧乏生活も笑い話として良い思い出になっているが。

また話が脱線した。H君も僕もそうだが、多くの僕の友人達の話を聞いても、大学生になって悩んでいる人は多いと思う。高校までとは全く違う空間で、思い描いていた自分の進むであろう理想像と、今の自分とのギャップに嫌気がさし大学をやめる人も多い。僕の場合は大学を卒業し、大学院に進み、研究ができる仕事に就く、なんていうぼんやりした想像図が大学入学前にはあった。だが実際大学に入り、授業を受け、実験をしてみると、研究職は僕には到底向いてない仕事なような気がした。そう一旦思ってしまうと、それからの授業は恐ろしく退屈なものになってしまい、自分とは関係のないようなものと考えてしまい、興味が湧かなくなってしまった。だが、大学を辞めてしまったら、浪人の苦労も学費も全てが無駄になってしまう。それに、まだ大した研究をした事もないのに、つまらないと決め付けるのも危険な選択だと思った。実際僕でさえ、4年生のある時期(ある日と言った方がいいかもしれない)、自分の研究に時間を忘れ没頭した時もあった。いつ何に興味が湧くか、その時になってみないとわからないものなのだと思う。この旅に出た時はまだ卒業までに三年あった。卒業まで、自分なりに答えが出るまでは大学の単位は取っておこうと思った(そう思ったもののちょこちょこと落とした単位もあるが)。大学を辞めようと思っている人は、今一度考え直してほしい。大学を辞めて、心から打ち込んでやりたい事が本当にあるのか。何かやりたい事がない限り、大学を辞め、選択肢と自分の可能性を狭めるのはもったいない事だと僕は思う。そして何より、自分が今までしてきた事を無駄にしてしまうのはもったいない。時間はある。単位が貯まってしまうと嫌になってしまうので、単位をできるだけ落とさないようにして、長い時間をかけて自分の道を探していけばいいと思う。みんな悩んでるんだから、自分もその中の一人として悩むのはあたりまえの事だと思う。みんな考え、時には方向転換しながら色々な道を選んで行くものなんだから。大学生は何も考えてないように見えて、みんな結構悩んでいるものなのだと僕は思う。

H君とお互いの大学での生活の事や、なぜ大学が物足りないと感じてしまうかなど、長い間話をした後、僕らはH君の大学の友達、通称Mちゃん君と合流し、中州に行き、博多ラーメンの一蘭でラーメンを食べた。その後、まだ腹八分目だった僕らは、屋台で焼き鳥を食べ、ビールを飲んだ。屋台は初体験だったので、キョロキョロして周りの客や屋台の親父を見ていた。簡素な造りの屋台に、客がぎっしり入っている。客はおっさんばかりで、サラリーマン風から、年中酒を飲んでますといった感じのおっさんなど様々な人がいる。僕もおっさんになったらこういった屋台に入り、屋台の親父に仕事の悩んでいる事でも話しているのだろうか。

その後、僕らは中洲の「夜の街」見学に行った。怪しいネオン街に入ってきた。電話ボックスや、道端にはピンクチラシが散乱していた。ここ中洲のピンクチラシはニュースで問題になっているのを見た事がある程だ。その量といったら半端ではない。電話ボックスの中はピンクチラシで埋め尽くされていた。緑色の公衆電話表面を見る事ができないほど、ピンクちらしが貼ってある。裸同然のおねえさんの写真が載っている。僕はそのピンクチラシを数枚拾い上げた。その時、名案が閃いた。

「あっ、これ友達のお土産にしよう。」

このピンクチラシ、案外友人達からウケはよかった。

夜の中洲の店の前ではミニスカートの女達が客引きをしていた。んっ?僕らには声をかけてこない。どうやら、汚い格好をしているガキ共には用がないようである。中州の雰囲気を体感し、金のない僕らはH君の家に戻った。Mちゃん君とは家に帰る途中で別れた。H君の家に戻ると、坊主頭の男が部屋の中に座ってテレビを見ていた。彼はH君の大学の友達で坊主頭のN君という。明日の追試のため、寝坊しないよう学校が近いH君の家に今日は泊まるのだという。明日追試というのに彼はテレビを見ている。H君は坊主頭のN君にこう質問する。

「余裕だね。明日の追試大丈夫なの?」

返事はこうだ。

「全く自信ない。」

結局彼は追試前日といのに、教科書に触れさえしなかった。 こうは言ったものの、僕もテスト前日はテレビを見て、用もないのに何度も冷蔵庫の中をのぞきに行き、何もテスト前日にしなくてもいいのに部屋の掃除をして、さらにノッテル日は実家にあったスラムダンクを1巻から読みなおしてしまう。それが、人の性だよね。そう思いません?

坊主頭のN君から出身地沖縄のお菓子をもらう。これで沖縄も制覇かな?

ついに明日からヒッチハイクの旅の始まりだ。

2006年10月27日

3月5日 ついにヒッチハイク開始

坊主頭のN君が追試の試験を受けるため、H君の家を出て行く音で目が覚めた。その後朝飯をご馳走になり、H君の家を朝のうちにを出る。家を出る間際、H君は僕に野菜ジュースとクッキーをビニール袋に入れ、手渡してくれた。ホントありがとう。世話になりっぱなしだった。

僕はH君に礼を言い、車通りの多い道路へ向かった。ついにこれから、頼るあてのない旅になるのである。僕はガイドブックなど一切持ってきておらず、別府、桜島、阿蘇、長崎という行ってみたいとこだけの目星をつけていた。とりあえずは大分県別府を目指す。

H君の家から少し歩き、大通りに出る。三車線の太い道路の脇に立ち、親指をビッと上に立て、初めてのヒッチハイクを試みる。しかし、三十分程待ってみたが、車は一向に止まる気配がなく、太い道路ということもあり、猛スピードでビュンビュン通り過ぎていった。ここではダメだと思った。次にドンキホーテの駐車場に止まっている車を探すが、雨のため客も少ない。さらに、遠くまで行く車は見つかりそうもなかった。そりゃ、そうだよね。ドンキにわざわざ遠くからくる人はいないか。初のヒッチハイクという事もあり、僕はどうもコツがわからなかった。だが、このような都会で乗せてくれる車を見つけるのが困難な事は、その時の僕にもわかった。もう少し田舎へ行ってみよう。

僕は箱崎から、九州の入り口の小倉へ行き、そこから少し南にある宇佐という駅で電車を降りる事にした。

宇佐の駅を降り、小腹の減った僕は、旅の準備で買っておいたカップラーメンを食べるため、そこらにいる人に声をかけ、お湯を借りようと思った。しかし、人っ子一人見当たらない。替わりに青看板を見つけ、別府の方向がわかった。どれ、田舎に来た事だし、腹は減ったが試しにヒッチハイクをしてみようか。道端にバックパックを置き。僕はヒッチハイクを始めた。車が来た。止まるかな。運転手がこちらを見てくる。車がスピードを緩める。止まるか?止まるか?止まるのか~~~~~~!?通り過ぎた。まあ、一台目からうまくいくわけないか。だが、その時僕はこのヒッチハイクの旅、なんとかなるような気がした。さっきの車、乗せてはくれなかったが、スピードを緩めてくれたし、ドライバーのおばちゃんは僕を見ながら「ごめんね~。」という表情をしていた。箱崎の太い道路でヒッチハイクをした時とは明らかに違った。

それから三十分程が経ち、台数は少ないが、数台の車が僕の横を通りすぎた。僕はそこを動かなかった。なんとしても、ヒッチハイクがしたかった。今回ぼくは電車の旅に来た訳じゃないのだから。その時、軽トラックが遠くに見えた。僕は親指を立て、軽トラックをジッと見つめた。僕に近くづいてくると軽トラのスピードが緩まる。ドライバーのおっちゃんと目が合った。しかし、軽トラは僕の横を通りすぎてしまった。はあ、甘くないな。僕はそう思い、ため息をついた。プップ~!その時、後ろからクラクションがなった。通り過ぎたと思った軽トラは少し先でハザードを点滅させ止まっていた。僕が荷物を持って走っていくと、おっちゃんは僕に声をかけた。

「どこに行きたいんだい?」
「別府に行こうと思ってるんですが。」
「別府に帰るとこだから乗っていきな。」

ついに僕はヒッチハイクに成功した。あの、車が後ろに止まっていた事に気がついた時の喜び、それは何とも言えないものだった。そのおっちゃんは五十歳くらいで作業服を着ていて、話し方の優しい人だった。車の中では、僕が大学生であること、東京から来た事(神奈川に住んでいるが、こういう時は東京と言った方がわかりやすい)など話をした。そして、九州の有名な場所を聞いた。おっちゃんによると、宮崎県の南の方に日南海岸という綺麗な海岸があるらしい。次の目的地ができた。話によると、ここ何年もヒッチハイクをしてる奴なんて見てなかったらしい。僕がヒッチハイクというものを知った、某バラエティ番組をやっていた時はちらほらヒッチハイカーを見たらしいが、今はぱったりと見る事がなくなったらしい。オッケー、オッケー。そうでなくちゃ。みんながやってる事をしてもつまらない。最近はヒッチハイカーがいないと聞いて、僕は俄然やる気が出てきた。そして、おっちゃんは僕を乗せた理由を言ってくれた。好青年に見えたからと。

「いや~、そうですか?」

なんて言ってポリポリ頭をかいた。でも、こう言われた事でヒッチハイクができる自信が少しついてきた(おだてられるとノルタイプ)。おっちゃんが言うには、やはり、乗せる方も慎重に選ぶらしい。ヒッチハイクが流行った数年前、ヒッチハイカーを乗せてあげたドライバーがナイフを突きつけられ、金を脅し取られた事件が起こったらしい。そう。ヒッチハイクで乗る人に不安があるように、乗せる方も不安はあるのである。

一時間半程で別府に着き、温泉街で下ろしてもらった。記念すべき最初のヒッチハイクで乗せてくれた人と言う事で、一緒に写真を撮ってもらい、礼を言っておっちゃんとは別れた。別府の駅の定食屋を見つけたので、カツ重を食べた。朝飯以来何も食べていなかったので、僕は夢中でカツ重をかきこんだ。飯を食べ終わると時間は四時。定食屋のおばちゃんに、別府の名所を聞くと、

「地獄巡りっていうのがあるけど、もう時間的には遅いよ。」

と言われた。地獄巡りとは別府にある八ヶ所の珍しい熱湯を見て廻ることを言い、別府観光の目玉である。僕は明日地獄巡りをすることにして、早めではあるが寝床探しをする事にした。とりあえず数打とうと思った僕は、近くにあった八百屋に入っていき、

「東京から旅をしている学生なんですが、寝袋を持っているので、お店の少しのスペースで寝かせてもらえませんか?」

今考えるとよくもまあ、あんな事を言ったものだなと思う。案の定、店のスペースには次の日に売り出す野菜が置かれてしまうということで断られた。しかし、自分的にはかなり好感触だった。その八百屋を経営していた老夫婦は、

「本当にごめんね。」

と言って、僕を見送ってくれた。八百屋をしてる人には悪い人はいないな、と勝手に思い込んだ僕は、他の八百屋を探して歩いた。なぜ僕がこの時八百屋にこだわったのかはよく自分でもわからない。少し歩くと商店街に入った。お、八百屋見っけ。そして、またあのフレーズを言った。

「東京から旅をしている学生なんですが・・・。」

夫婦で八百屋を経営している、気の良さそうな二人が顔を見合わせた。そして、

「お店は閉めちゃうから、家に泊まりなさい。」

とおばちゃんが笑顔で言ってくれた。なんと、二件目にして僕みたいな見ず知らずの汚い格好をした男を泊めてくれる家を見つけてしまった。正直驚いてしまった。思わず「えっ。」と声を出してしまった。この事で僕は一気に別府、いや九州の人たちはいい人が多いと思った。何はともあれ、今日の寝床を見つけた事で、僕はほっとした。店が終わるまで時間があると言うので、僕は図々しくもバックパックを店に預けて、別府の街を見て廻る事にした。

少し歩くと海が見えた。小さい船が多く停泊している。堤防に駆け上がり、海を見る。 曇っているせいもあり、地元湘南の海とさほど変わらない、青さの少ない海である。この海は晴れれば綺麗な青色に見えるのだろうか。

地元湘南の海は、正直あまり綺麗なものとは言えない。だが夏になるとなぜか、浜を埋め尽くすほどの海水浴客が来る。僕は夏の湘南の海はあまり好きではない。あの人とゴミの量。泳ぐ気も失せてしまう。湘南の海にいくならクラゲが大量発生した後の時期がいい。人も少ないし、そこそこ暖かい。江ノ島のテトラポットの上が僕のお気に入りの場所だ。テトラポットの上に座ると、180度海しか見えない。地球の丸さがわかる。でもその場所ちょっと磯臭い。さらに、テトラポットの上から落ちた人もいるらしく、危険な場所だから行かないように。お気に入りの場所に人が多く来たら、そこはお気に入りの場所じゃなくなっちゃうしね。

海を少し眺めた後、僕は八百屋のおばちゃんに教えてもらった砂風呂で有名な竹瓦温泉という所に行ってみた。760円と少し高かったが仕方がない。そこは、おばちゃんが砂をわざわざ汗水垂らして全身にかけてくれるのだ。そう考えたら安いもんだ。服を脱ぎタオル一丁でガラガラとドアを開けると、モワッとした熱気と共に随分と広い空間が現われた。ドアの近くにシャワーがある。砂風呂が終わった後に砂を落とすためにあるようだ。木で造られた階段を下りていくと、大きな砂場が見え、数人のおばちゃん達がタオルを肩にかけ、砂の上に寝転んでいる外人さんに砂をかけていた。休んでいたおばちゃんが「いらっしゃい。」といった表情でここに来なさいというジェスチャーをする。砂の上に寝転ぶと下の砂も結構熱い。おばちゃんはスコップで僕の上に砂をかけていく。外人さんに砂をかけ終わったおばちゃん達も、僕に砂をかけるのを手伝う。僕の体を砂が覆うと、心地よい砂の圧力が僕にかかっていた。そういえば、小さい時に海で友達に頼んで、体全体に砂をかけてもらって遊んだ事があったな。砂風呂の心地よい圧力の中、僕はそんな事をふと思い出した。誰もが海で一度はやってみた事があるんじゃないかな。ここの砂は勿論海とは違いかなり熱い。汗がどんどん出てくる。塩に包まれて蒸される魚の気持ちが少しわかったような気がする。今度、魚の蒸し焼きを食べる時は美味しく食べてあげよう。

僕は砂風呂の限界がきて、おばちゃんを呼ぶ。すると、おばちゃん達がどっこいしょという感じで僕の体の上にのった砂を取り除いていく。僕の体は徐々に軽くなっていき、熱さからも開放されていく。なるほど、この爽快感はいい。おばちゃん達に礼を言うと、

「若い子の裸が見れてよかった。」

と最後に僕の所に砂をかけに来たおばちゃんが冗談交じりにそう言って見送ってくれた。少しゾッとしながら僕は苦笑いをした。体についた砂を洗い流し、更衣室を挟んで反対側にある温泉に入る。これは良く考えたらこれはお得だった。砂風呂が終わった後に普通の温泉まで入れるのだから。別府に行ったら是非、竹瓦温泉に行ってみて欲しい。必ず満足いくはずだ。

八百屋の閉店時間まで、まだ少し時間があったので、コンビニに寄ってみる。そういえば今日は月曜日。少年ジャンプの発売日だ。僕は旅に来ているというのにコンビニでジャンプを立ち読みをした。その時僕は、人間浮世離れするのは難しいんものだなんて事をしみじみ思う。いやはや、ジャンプは偉大なり。ジャンプを読み終わり満足して、いつものように何も買わずにコンビニを出て、八百屋に向かった。社会人になった今でも、立ち読みは僕が好きな時間の一つである。

八百屋に着くとおじちゃんとおばちゃんはちょうど店閉まいをしていた。店を閉めると、八百屋の夫婦は車で5分程の自宅へ連れて行ってくれた。僕に部屋丸々一つ使わせてくれた。子供はもう結婚していて、家を出たそうで、この部屋は子供部屋だったそうだ。名前はOさんという。今はOさん夫婦と猫一匹で暮らしている。僕は晩御飯にすき焼きと、鯛の刺身をごちそうになった。今日は栄養抜群の晩御飯だ。本当に美味しかった。やっぱり家庭のご飯は美味しいね。晩御飯の後、Oさん夫婦は近くの温泉に連れて行ってくれた。美味しい飯を食べ、温泉三昧。最高の気分の良さだ。Oさん夫婦は二人共明るく、話をしていて楽しかった。まるで家族のようにしてくれた。なんていい人達に巡り会えたのだろう。Oさん夫婦とメールや住所を交換し、僕は部屋に戻り、暖かい布団に横になった。疲れていたのだろう。普段寝つきの悪い僕が、目をつむるとすぐに眠る事ができた。

Oさん夫婦(猫つき)。 img005.jpg

2007年01月02日

3月6日 宿無しヒッチハイカー最後の手段

Oさん邸の温かい布団で寝かせてもらった僕は、寝起きもよく(起こしてもらったが、普段の僕はちょっとやそっとじゃ起きない)、ぱっちりと起きる事ができた。朝ごはんをご馳走になり、僕は別府の地獄巡りをする予定を言うと、Oさんの奥さんが地獄巡りの最初の場所へ車で送ってくれるという事になった。Oさんの旦那さんとは家を出る時にお別れだった。僕はお礼を言い、家を出た。本当にいい人達と出会える事ができた。Oさん夫婦に出会えたおかげで、僕は初めての見ず知らずの人の家に民泊する事ができた。これで、旅をしていけるという自信もついてきた。

別府地獄巡り最初の場所、海地獄まで送ってもらい、そこでOさんの奥さんとも別れた。

「気をつけてね。」

と心配そうな顔で僕を見送ってくれた。昨日会った人がこれだけ心配をしているのだから、両親の心配といったらとんでもなく大きいものなのだろう。

バックパックの旅をすることを両親に言い出す度に、両親はその計画に反対してきた。結局は何を言われても「やると決めたら絶対やる」という僕の性格に、両親が折れるという形で、僕は毎回バックパックの旅に出てきた。

この一年後、僕にとって三回目のバックパックの旅であり、初の海外一人旅であった、アメリカ往復横断の旅をすると両親に言った時は、親父から

「全く親不孝な奴だ!」

と怒鳴られた。僕に将来子供ができて、その子供がバックパックのあてのない旅に出るなんて言い出したら、僕もおそらく反対してしまうだろう。自分の子供が、やれヒッチハイクだの、やれ野宿だのと言い出したら、心配するのも無理もない。だが、反対をして、それでも自分の子供が引かない根性を見せてくれるなら、僕も両親がしてくれたように、旅に出ることを許す事ができるだろうと思う。今ではそうやって僕を見送ってくれた両親に感謝している。

さて、別府地獄巡り最初の地獄、海地獄。地獄巡りのチケットを買い、どんなものかと湯気の立ち上っている池のような所へ歩いていく。なるほど。海地獄というだけあって、熱湯の池の色は綺麗なコバルトブルーである。僕はそこらにいる観光客に頼んで写真を撮ってもらいながら、ふーんという感じで見て廻る。

次は山地獄。海地獄からは少し歩いて行く事ができる。山地獄にはなぜかカバを始めとして、温泉熱を利用して様々な動物が飼育されていた。まあ、小さい動物園といったところだ。係員が一生懸命カバの周りを掃除しているのに、カバといったら温かい温泉に入りながらノンキにそのでかい口を開けてアクビをしている。自然にいるより狭い空間で生活しているとはいえ、彼らのようなのんびりしている動物にとっては楽な生活のように見える。何もしなくたって餌が手に入り、身の回りの世話してくれるのだから。この生活を当の本人達はどう思っているのか聞いてみたいもんだ。

山地獄の次はかまど地獄。ここは熱湯の噴気で御供飯を炊いてお供えする習わしがあることから、その名がついたらしい。噴気の上には作り物の鬼やら竜などが置いてあり、なんだかテーマパークっぽくなってきてしまった。

気を取り直し、次の鬼山地獄。ここも温泉熱を利用し動物を飼育している。ここでは動物といっても多くのワニを飼育していて、その量といったら半端ではなかった。小さい温泉池の中にうじゃうじゃといて、そこに飛び込んだら一分もしない内に、服しか残らないであろうと想像させるほどの多さである。う、ちょっと、気持ち悪い。

さて、次は金竜地獄。ここは、様々な仏像などが置いてあり、拝みに来たという感じの場所だった。一応賽銭箱に五円玉を入れ、旅の安全を願った。

次、白池地獄。ここは金竜地獄から少し距離を歩いた。別府の町並みが見える少し高い道路を歩いていった。別府の町のあちらこちらから温泉の煙が見える。高い位置から見えるここの景色は結構好きで、歩いていて気持ちがよかった。数分歩くと白池地獄に着いた。ここの熱湯池はまっ白で、熱帯魚を飼育している場所も館内にあった。まっ白な池というのもなかなか見られないと思い、また観光客に頼んで写真を撮ってもらった。

さあ、あと二つ。次は血の池地獄。ここは血のような真っ赤な色の大きい池があった。ようやく地獄っぽいのが出てきた。この真っ赤な温泉池には「おお~」と歓声をあげている観光客がいるほどで、なかなか見ごたえあるものであった。血の池地獄の足湯なんてのもあり、入ってみる事にした。赤い湯に足を入れるのはちょっと変な気分だったが、いい湯加減にうすめてあり気持ちがよかった。

最後に龍巻地獄。ここは約二十五分間隔で熱湯が約五分間吹き上がり続ける場所で、観光客も一番多かった。龍巻地獄に着いてみると、そこへ来ていた多くの人たちがベンチに座って、熱湯が吹き上がるのを待っていた。僕もベンチに座り待っていると、噴出し口の近くに立っていた人たちから「お~」という歓声が聞こえてきた。見ると、すごい勢いで熱湯が吹き上がっている。これには驚き、ついつい写真を撮ってしまった。

ようやく全部見終わった。まあまあ楽しめた。でもやっぱり温泉は見るより、入る方がいいかな。これら地獄巡りで撮った写真はというと、ほとんど湯気まみれでよくわからない写真が多かったのが残念である。

龍巻地獄を出ると、十二時頃になり、よく歩き腹も減ってきたので、近くに民家も見えるのでカップラーメン作戦を実行してみる。カップラーメン作戦とは、お昼時に民家に、

「一人旅をしてるんですが、カップラーメンを食べたいのでお湯をもらえませんか?」
 

と訪ね、

「どうせなら、家のご飯食べていきなさい。」

なんて事を言われ、運がよければご飯をご馳走になろうという下心のある作戦である。なんせ、貧乏旅行だからさ。どうなるものかと、すぐ近くにある民家のインターホンを押してみる。中からおばあちゃんが出てきた。

「一人旅をしてるんですが、カップラーメンを食べたいのでお湯をもらえませんか?」

と言ってみる。おばあちゃんは

「ちょっと待ってね~。」

と言って、僕を玄関に入れ、家の奥に入っていく。少しするとやかんに入ったお湯と割り箸を持ってきてくれた。ありがとう、おばあちゃん。そしてすみません。ご飯をご馳走になろうなんて思ったりして。いきなり家を訪ねてきた汚い格好をした男に、快くお湯を持ってきてくれるだけですごいことじゃないか。僕の心は邪悪でした。それに比べ九州の人は暖かいな。僕がヒッチハイクで旅をしていると言うと、使わなかったカレンダーをくれた。このカレンダーがあれば後ろに行き先を書いて、ヒッチハイク中、車に見せる事ができる。そこで、マジックペンを借り、カレンダーの裏に宮崎、鹿児島方面とデカデカと書いた。お湯とカレンダーのお礼を言い、おばあちゃんの家を後にする。

さて、腹も膨れ、僕はヒッチハイクを再び始めた。龍巻地獄から出てきた観光客の女の子三人組が僕をちらちらと見てきたので、

「どこまで行くんですか?」

と聞いてみると、

「福岡に帰るんですよ~。」

と言ってきた。女の子三人の車に乗ればそれはそれは楽しいだろうが、福岡にとんぼ返りするわけにはいかない。残念だが宮崎、鹿児島に行く事を言うと、

「頑張ってくださいね。」

と言われ。その子達とは別れた。

気を取り直し、カレンダーを右手に持ち左手の親指をピッと上げると、十分程で赤ちゃんをチャイルドシートに座らせている若いお母さんが止まってくれた。

「宮崎までは行かないけど、宮崎方面までいく車通りが多い所まで乗ってく?」

と言ってきてくれた。僕はニコニコしながら車に乗り込むと、本当に小さい赤ちゃんがすうすうとチャイルドシートの上で寝ていた。赤ちゃんの足の指なんて豆粒のように小さかった。正直僕は驚いていた。こんな小さい赤ちゃんがいるのに、見ず知らずのヒッチハイクをしている男を車に乗せるなんて、心配ではないのだろうか。僕がもし乗せる方の立場で、自分の赤ちゃんを乗せていたら見ず知らずの男を乗せる事はできないかもしれない。だが、その若いお母さんはいたって普通の事のように、自然に僕と話をしている。うーむ。まだまだ僕の頭は関東地区の頭なのだろうか。僕の住んでいる神奈川県の藤沢もそんなに都会とは言える場所ではないが、やはりここ九州の人達と雰囲気、見知らぬ人との接し方などは少し違うように思える。その優しさは、何か生活全体から出てきている余裕からきているもののように思える。金銭的なことで関東と違いがあるのかはわからないが、金銭的な余裕というよりも、生活の流れに余裕を感じられる。忙しなく歩いている東京駅にいる人達とは明らかに違う雰囲気を持った人達がここ九州には多くいる。そして、その優しさで僕は民泊ができ、ヒッチハイクの旅ができている。自分もこれから生きていく中で余裕を持った生活を送りたいものである。

十五分程乗せてもらい、宮崎へと続く車通りの多い道路で降ろしてもらった。そこは海が見える景色のいい場所で、またいい気分でヒッチハイクを再開する事ができた。「さあさあどんどん進むよ~。」と意気込んで両手でカレンダーの裏側を頭の上に掲げた。すると、五分もしない内に一台の乗用車が止まった。荷物を持って走りよると窓が開き、

「大分駅近くまでだったら乗せてやるぞ。」

と中からごついおっちゃんが顔を出し言ってきた。

「お願いします!」

と言い、僕は車に乗り込んだ。話をしてみるとそのごついおっちゃんも、若い時にヒッチハイクの旅やバイクの旅をしたことがあるのだと言う。そのおっちゃん曰く、ヒッチハイクは自分の少し後ろに車が止まりやすいスペースがあると、車は止まりやすいらしい。乗せる方はヒッチハイクをしている人の顔や雰囲気などを横を通り過ぎる時に見るらしい。そういえば自分より前で止まった車は今まで一台もなかった。全て僕を通り過ぎ、少し進んだ所に止まってくれていた。なるほど、さすが経験者の言う事は参考になる。次からそういう所も意識しよう。そして、そのカレンダーの裏に行き先を書くのはいい考えだと褒められた。遠くからでも行き先がよく見えたらしい。その他、二十四時間営業のスーパー銭湯や道の駅という二十四時間閉まらない駅は、泊まる所がなかったら使えるなど旅に関しての様々な情報を教えてくれた。そのおっちゃんは旅についての色々な話しをしながら非常にいい表情をしていた。そのおっちゃんの気持ちが今の僕には良くわかる。旅人は共通する考えや意識を持っている。それについて話す事は旅人にとって非常に面白い。おっちゃんも僕と話しながら昔の旅を思い出していたのだろう。その事を思い出し、旅をしている時、特有の胸の高鳴りを感じていたのだろう。旅を経験したことのある今の僕にはそれがわかる。

一時間程度乗っただろうか、時間はあっという間に過ぎていた。わざわざ自分の目的地を過ぎ、宮崎までへと続く車通りの多い所まで連れて行ってくれた。ありがとう、ごついおっちゃん。さあ、今日三台目のヒッチハイクだ。なんだか自信もついてきた。ヒッチハイクを始め十分程待っていると、遠くから一台のイカ車がうるさい音を鳴らして走ってきている、まあ止まらないだろうとは思いつつ、ヒッチハイクのサインの親指は面倒臭いので下ろさないでいると、なんと僕の少し後ろでその車は止まってしまった。一応止まってくれたので、荷物を持って近づいてみると中には気のよさそうな青年が一人座っていた。これなら万が一金を脅し取ろうとされてもなんとか抵抗できそうだった。

「あんまり距離行かないですけど・・・よかったら。」

あ~、こりゃ絶対良い奴だ。僕よりも年は若そうだし、丁寧にも敬語まで使ってくれている。

「どうもどうも。」

なんて言いながら車に乗せてもらい話をすると、この青年は近くの車整備所で働いている、車とバイクを愛する気さくな青年だった。僕も前々からバイクの免許を取りたいと思っていたので、どんなバイクが良いとか悪いとかいう話をしたり、バイクの楽しさなどを教えてもらったりした。

僕はこの年の十月、つまりこの旅をして七ヶ月後に普通自動二輪免許を取った。この青年との話が僕を直接的に突き動かしたという訳ではないが、バイクの面白さを熱く語っていたその青年を見て、その時「バイクもいいかもな。」と少し思った事は確かであった。今僕は友達から格安で新しいとはお世辞にも言えないヤマハのアメリカンタイプのバイクを買い取り、あまり遠出はしないが毎日のように僕の足として使っている。とてもじゃないが新車なんて買えなかった。店で売っている中古車なんてのも僕には手の届く値段ではなかった。それは運良く見つけたバイクだった。あの青年と話していた時も

「俺はアメリカンタイプのバイクに乗りたいな。」

なんて事を言っていた。確かにバイクに乗っている時はいい気分になる。あの青年の話していた事は本当だった。真冬のバイクは恐ろしい程の寒さだけどね。

その青年には三十分程行った所で降ろしてもらい、彼は爽やかに仕事場へと走り去っていった。またヒッチハイク再開。これまた十分程で一台の車が止まってくれた。車に走り寄ってみると、今度は買い物帰りの親子の乗った車だった。その車に乗っていた女の子の歳は僕の一つ下でちょっと可愛い子だった。通り道にトトロの森という所があるというので連れて行ってもらう事にした。少し通りから入った所で止まり、遠くの方に看板が立っているのが見えた。お母さんは

「車で待ってるから、ちょっと行っておいで。」

と言って、その女の子にも行ってきなさいとジェスチャーをした。僕とその女の子でその看板へ歩いていくと{トトロの森}という文字が見えてきた。

「大した所じゃないけどね。」

と言いながら、女の子は

「こっちよ」

と僕の少し前を歩いた。看板を超えると、木で作られた小さいトトロがいっぱい置いてある。

「カワイイでしょ。」

とその女の子はトトロを見ながら言う。

「そうだね。」

なんて僕はなぜかちょっと緊張しながら言う。

「私も東京とかに住んでみたいな。」
「俺は東京嫌いだけどね、そんな良い所じゃないと思うけど。」

その時その女の子は十九才だった。今頃違う環境を求めて東京に住んでいたりするのだろうか。それとも、住み慣れた地元を離れずにいるのだろうか。

車に戻り東京での大学生活の事などを話しながら、三人でワイワイ騒ぎながら山の中を走る。そんな時その女の子の携帯のストラップに男の写真が貼ってあるのが見えた。「は~あ、みんな彼氏いるんだもんな~。」となぜか少し心の中でテンションが下がったが、気付かれないよう話を続けた。その親子はわざわざ家を通り抜け、宮崎からも人が来るという店の前まで連れて行ってくれた。ほんとみんな優しいな。買い物帰りの親子とはそこで別れた。

ヒッチハイクを始めると、一台の大きい音を鳴らした車が僕の横を通った。通り過ぎながら後部座席に乗っていたヤンキーが窓を開け僕を見ながら、僕と同じように親指を上に立てている。乗せてくれる訳じゃなかったので、ちょっとひやかしているようだった。まあそんな事気にしてたらこんな旅できないし。はいはい、次々。

山道のため、道は広いが車通りが少なくここでは三十分程車が止まってくれなかった。そして、やっと一台の車が止まってくれた。中には仕事帰りであろうおっちゃん達が四人乗っていて、ギュウギュウになりながらも大荷物の僕を乗せてくれた。後部座席に座っているおっちゃんの一人は、午後四時時頃というのに早くも少し酔っている感じだったが、みんな明るい人達でワイワイした車の中も楽しかったし、山道から見える川などの景色も綺麗だった。

一時間近くは乗せてもらっただろうか。

「宮崎に行くにはこっちだ。兄ちゃん、頑張れよ!」

と言われ、またいい気分になった。もう5時近くだがまだ進めそうだったので、またヒッチハイクにチャレンジしてみたところ、すぐに車が止まってくれた。中には僕と同じ位の歳の青年が乗っていた。聞くとその青年は鹿児島大学の三年生であるという。車内ではお互いの大学生活の事などを話した。彼は寮生活という事もあり、大学の友達と毎日のように焼酎を飲んで、結構楽しい大学生活を送っているのだという。

僕も大学の友達といるのが楽しくない訳じゃない。カラオケ、ビリヤード、ボーリング、飲みなどお馴染みの遊びはよくしていた。だが、みんな家が離れていて、終電も早いとあって、なかなか夜まで遊ぶ機会が少なかった。それに比べるとやはり、地元の友達と遊ぶ回数の方が多かった。それに、学校の課題やらがそこそこ忙しく、遊んでばかりもいられなかった。僕も地元を離れ寮生活とかをしたら、大学生活に結構楽しかったのかもしれない。

宮崎駅に着き、その大学生は

「鹿児島まで一緒に行って、今日焼酎でも飲む?」

と言ってくれだが、宮崎にある日南海岸を見たかったので、宮崎駅で降ろしてもらう事にした。かなり長い時間を乗せてもらっていて、もう既に9時近くになっていた。今日泊まる所を探さなければ。しかし、宮崎駅周辺は別府とは違い案外都会だった。てくてく駅周辺を歩き回り、試しに民家を訪ねてみる。

「東京の学生で一人旅をしてるんですが、寝袋持ってるんで玄関でもいいので寝かせてもらえないでしょうか。」

家の中から出てきた背の小さい大人しそうな男の人は、僕を宇宙人でも見ているかのような顔をしている。沈黙に耐えられず僕から

「できないですよね、すみません。」

とそそくさとその家を後にした。やばい、見知らぬ土地で泊まる所が見つかっていない事への心細さがどんどん大きくなっていく。ここ宮崎駅周辺のような都会っぽい所では民泊はできないだろうと見切りをつけ、僕は安く泊まれる所を探す事にした。コンビニでおにぎりを買い、おにぎりを食べ歩きながら駅周辺を徘徊し、ようやく漫画喫茶を見つける事ができた。十二時以降に入れば千円で朝までいることができるらしい。だが、まだ十二時まで一時間以上ある。僕は漫喫をキープし、もう少し駅周辺を歩いてみることにした。

長い時間重いバックパックを背負って歩いたのと、今日一日、色々な車に乗り、長距離を移動した疲れがどっと出てきた。宮崎駅は深夜は閉まってしまい、寝袋で寝るスペースなどなかった。何より寒すぎて外では眠れそうにない。もういい加減、満喫に行こうかと思った時、大きな交番が目に入った。「そうだ、交番で寝させてくれないかな。」と僕は思い、自分の疲れからなんのためらいもなく交番に入った。しかし、警官達はパトロールに行っているのか誰もいなく、僕は暖房の効いた交番の中で日記を書いて待つことにした。警官はなかなか帰ってこなく、猛烈な睡魔に襲われた僕は、交番の中にあった椅子に寝袋を敷いて、図々しくも寝させてもらう事にした。

少し眠っているとガラガラとドアが開いた音がしたので見てみると、女の子が三人交番に入ってきた。その子達は友達と駅で待ち合わせをしていたのだが、外が寒いのでここの交番に入ってきたのだという。少し話をしていると車のプップーとクラクションが外から聞こえてきた。どうやら女の子の友達が来たらしい。交番を出る間際、その女の子の一人が

「飴ちゃんあげるよ。」

と持っていた飴を三つくれた。

「ばいばーい。ヒッチハイク頑張ってね~。」

とカワイイなまり混じりな言葉で言われちょっと嬉しかった。

結局警官達はぞろぞろと午前一時頃に帰ってきた。寝袋を敷いて寝ている僕を見て少し驚いていたが、貧乏旅行をしていると事情を話すと、警官達は優しい笑顔で快く交番の中の椅子で寝る事にOKを出してくれた。さらに気を使って、お茶を出してくれたりもしてくれた。交通違反で僕を捕まえ、血も涙もなく威圧的に罰金を課せてきた○○○県警とは大違いだった。僕はこの時程、警官の事を正義を貫く優しいヒーローだと思った事はなかった。

という訳で僕はこの日、交番に泊まる事になったのである。

血の池地獄の足湯に入ってる図。 img006.jpg

3月7日 ある老夫婦との長距離ドライブ

交番の中の椅子の上で寝袋に入り一夜を明かした僕であったが、夜中も警官達が出入りしていた事もあり眠りは浅かった。しかし、交番の中は冬の外とは別世界の暖かさで、僕はぬくぬくと朝の七時まで寝させてもらう事ができた。先日大阪で二万円を詐欺師にあげてしまい、青春18切符と今までの食費などの金を差し引くと、手持ちの金は3万円強。あと約一週間旅を続けるつもりだったので、できるだけ宿泊費などで金を使う事は避けたかった。宮崎駅の警官達のおかげで、僕は宿泊費をうかす事ができた。よかった。昨日宮崎駅周辺を長時間うろついた甲斐があった。僕は警官達にお礼を言うと、みんな笑顔で見送ってくれた。

交番を出て、大きくアクビをしながら顔をポリポリ掻くと、少し髭が伸びている。ヒッチハイクをするからには印象も大事だと思い、僕は宮崎駅のトイレで髭を剃った。それにしてもホント髭はうっとうしい。僕は少し髭が濃い。時々髭剃り負けなんかすると、なんかもう「イーッ!!」となってしまう。そう考えるといらない毛というのはいっぱいあると思う。ここもいらないし、あそこもいらない、特にあの毛はよく絡まってむかつくし・・・。まあこんな事を言っていると、話題が下の方にいってしまうのでここらでやめておこう。

髭を剃ってさっぱりし、気合を入れ、今日は日南海岸に寄りながら、桜島そして鹿児島を目指そうと思った。まずは海に出よう。駅に止まっていたタクシーの運ちゃん海への行き方を聞いていると、その横で誰かを待っていた青年も話しに加わってきた。タクシーの運ちゃんとその青年によるとここ宮崎から海に出るには3kmもあるらしい。そんな事を話していると、その青年と待ち合わせしていた友達がそこに現われた。

「へえ、ヒッチハイクで九州廻ってるの。俺達これからどっか遊びに行こうと思ってたとこだから、途中までのせてあげようか?」

そう青年二人が言うと、タクシーの運ちゃんが

「そうだな、青島あたりまで乗せてやんなよ。」

このタクシーの運ちゃんと二人の青年はそこで始めて会ったらしく、知り合いでも何でもないようである。そんな人同士が実に自然に話している。僕にはこれがちょっと不思議に思えた。でもなぜかそんな青年とタクシーの運ちゃんとのやりとりを見て、この時少し良い気分になったことを覚えている。

結局、僕はこの青年二人の車で青島まで乗っけていってもらう事になった。ヒッチハイクをせずに、今日1台目の車に乗せてもらう事ができた。青島とはここ宮崎の有名観光名所の一つで、きれいな海岸線にある小さな島の事である。巨人軍の宮崎キャンプでは選手達が揃ってその島にある神社に参拝に来るらしい。二人の青年は僕と同じくらいの歳でここ宮崎にずっと住んでいて、幼馴染みの友達同士なのだという。二人の会話を聞いていると、二人の間には全く遠慮がなく、さばさばしていて言いたい事を言い合って、それでいて気が合っている。見ていて面白い。

僕も生まれてからずっと藤沢に住んでいて、地元の幼馴染みがいる。その幼馴染みといると、この宮崎の青年達と同じように、全く遠慮のない会話をしている。アホだの、ハゲだのという事を言い合ってはいるが、別にその言葉に意味はなく、怒りも湧いてこない。まだ蒙古斑の消えてない頃からお互いを知っているため、お互いのアホさを知り尽くしている仲だけはある。僕はこんな変な幼馴染みという仲がこれからも続いていけばいいと思う。まあこんな事を言うのは恥ずかしくて、その幼馴染み達には絶対言えないけど。

話を戻そう。その宮崎の青年二人と、東京の女の子と、九州の女の子どっちがカワイイかなんて事をワイワイ話しながら海岸線を走っていると、宮崎青年の一人が

「親戚の家が宇いろう作ってるから、ちょっと寄っていこうよ。」

と言う。その親戚の家の前に車を止め、少し待っていると宮崎青年が一つ包みをを持って家から出てきた。僕のためにただで宇いろうをもらってきてくれたのだ。いや、彼のおごりで宇いろうを買ってきてくれたのかもしれない。

「腹減ったら食べな。」

ニコニコしながら宮崎青年は僕に宇いろうを手渡してくれた。みんななんて優しいのだろう。僕は旅特有の胸の熱くなる感覚を感じていた。その青年達には青島の前で降ろしてもらった。

「宇いろうありがとう!」

別れ際僕は大きな声でこう言い、彼らに手を振った。

「気をつけて旅しろよー!」

助手席に乗っていた宮崎青年も僕に向かって手を振ってくれた。

青島の桟橋に立つ。風はかなり強いが、白い砂浜と青い海の美しさにおもわず笑みがこぼれた。本当に海の色が綺麗だ。湘南の海とはまるで違う。そして、砂浜より先には鬼の洗濯板と呼ばれている、波で侵食され、まさに洗濯板のような形の岩が広がっている。海岸線に岩があることなんてよくあるのに、こういった形のものを見るのは初めてだ。なぜここの地域の岩だけがこのような形になったのだろう。地球って不思議やね(非常に使い勝手のいい言葉)。島までは白い桟橋がかかっている。桟橋を渡っていると団体ツアー客のおばちゃん、おじちゃん達とすれ違う。

この団体ツアーのおじちゃん、おばちゃん達とは名所という名所で会うことができる。それは日本だけではなく、僕が行ったことのある外国でも会うことができた。唯一ラオスでは会うことがなかったかな。おじちゃん、おばちゃんが団体ツアーを楽しむのには賛成できる。彼らがこの大きなバックパックを背負って、貧乏な旅をする事はないとは思う。だが、団体ツアー客には若い人達も少なくなかった。これを見ると僕は少々げんなりしてしまう。ツアーでは知る事のできない事が多くあるのに、若いうちから団体ツアー旅行に浸かってしまって。もったいない。若い人には、言葉が通じなく、物事がうまく進まない外国こそ、団体ツアー旅行はしてほしくない。色々な苦労をして始めて気がつくことが絶対ある。それを感じることこそ旅の醍醐味なんじゃないのかと僕は思う。団体ツアー旅行ではなく、その土地土地の深い部分を見てほしい。

さて、桟橋を渡り青島に着くと、僕は砂浜に綺麗な貝殻がいっぱいあることに気がついた。貝殻を拾いたい欲求がどんどん大きくなり、僕は耐え切れず砂浜にあぐらをかいてドカっと座る。湘南の砂浜では見たことのないような形の貝殻がいっぱいある。そこで、僕はしばし貝殻収集に没頭してしまった。どれだけの時間そこで貝殻を拾っていたのだろう。こういう所の貝殻は持って帰ってはいけないのかなと思いながらも、小さめの綺麗な貝殻をビニールに入れ、自分のお土産にすることにした。その貝殻はというと今でも僕の部屋に飾ってある。ちゃんとこうやって使ってるんだから、持って帰っても文句はないっしょ。貝殻収集を終え、島の中を見て廻ると、奥の方に神社のようなものがあった。一応そこでも旅の安全を願って、五円玉を賽銭箱にいれた。砂浜にもどり、今度は横になってみた。空には雲ひとつない。いい日に海に来れた。少し日向ぼっこをしてから、僕は桟橋を渡り島を出た。この青島にこれだけ時間をかける人も珍しいかもしれない。まあほとんど貝殻収集で時間をくったのだが。

青島を見終わり、僕はまたヒッチハイクを始めた。ほんの五分ほどで優しそうな老夫婦の乗った車が止まってくれた。その老夫婦は今日たまたま日南を通って海を見ながらドライブをしていると言う。おばちゃんの日南海岸ガイドを聞きながら、いかにも南国っぽい木が道路わきに植えてあり、エメラルド色の海が見える道をしばらく走る。海の色は南に行けば行くほど鮮やかなエメラルド色に変わっていく。僕が桜島を目指していると言うと、一緒に行ってくれるというので、そのまま長距離ドライブの続きを楽しんだ。おじちゃんも明るい人だったが、おばちゃんはさらに明るい人で、話が途切れる事はなかったので、かなりの時間乗っていても退屈する事がなかった。名前をKさんという。

しばらくするとおばちゃんのガイドで桜島に着いた事がわかった。近くにほとんど木の生えていない山が見える。この山は御山というらしい。桜島の展望台のような所に着き、二人と一緒に車を降り周りの景色を見渡した。赤黒いゴツゴツとした岩石が一面に広がっていて、かれたススキがしょぼしょぼ生えている。まさに地獄のような風景とはこういうことを言うのだと思った。写真を何枚か撮り、車に戻ると

「今日泊まる所ないなら家に泊まっていきなさい。」

と言ってくれたので、僕はその言葉に甘えることにした。Kさん夫婦の家は宮崎の北に位置している、日向という所だった。僕は今日の滞在地から時間的余裕も考え、鹿児島に行く事を諦め、次の目的地として阿蘇を目指す事を決めた。

「家のお風呂はすごいよ~。」

おばちゃんがニコニコしている。家の風呂がすごいとはどういう事だろうかと僕も楽しみだった。合計で五、六時間は車に乗っただろうか。家の近くのスーパーに寄り、その後Kさんの家に着いた。立派な家である。おじちゃんと居間でくつろいでいると、おばちゃんが色々ご馳走を作ってくれた。楽しくビールや焼酎を飲みながら、美味しいご飯をたべた。本当に子供のように可愛がってくれる。お腹いっぱいご飯を食べると、その後は、噂のすごい風呂だ。このすごさというのが始めての体験だったが薪風呂だったのだ。浴室の隣の部屋に暖炉のような所があり、そこで薪を燃やす構造だった。僕も薪を入れるのを手伝わせてもらった後、風呂に入った。浴槽は綺麗で、僕の薪風呂のイメージとは違ったものだった。僕の中では薪風呂というのは古い感じの風呂(時代劇で出てくるような)だったが、ここは綺麗な薪風呂だったのだ。入ってみると尻の下からぽかぽか暖かい。薪風呂というのも気持ちいいもんだ。風呂から上がると二人共ニコニコしながら

「初めての薪風呂はどうだった?」

と聞いてきたので、僕もニコニコしながら

「いや~、ほんと気持ちよかったですよ~。」
と言った。ニコニコする事で気持ちも明るくなり、どんどん元気になっていく。やはり人と話し、笑い合う事は大切だ。笑う事で健康になっているという実感がある。この老夫婦もこのような心のゆとりのおかげで健康を保っているのかもしれない。自然の中をドライブし、話をして、笑いあう。この二人は老後を笑いながら楽しんでいるという印象を受けた。こういうアクティブな生活をいつまでも続けたいものだ。二人がいつまでも健康でいてほしいと心から思う。この日は住所と電話番号を交換した後、暖かい布団で寝る事ができた。

日南海岸にて。 img003.jpg

薪風呂を暖めている様子。 img002.jpg

3月8日 阿蘇で出会った元不良少年

朝起きると、おばちゃんが朝飯を作ってくれた上に、昼飯のおにぎりまで握ってくれていた。これからの事も心配してくれているようだ。何度も阿蘇までの道を教えてくれたのだ。まるで本当のおばあちゃん、おじいちゃんのようだった。その後、僕はKさん夫婦に礼を言い家を出た。

ヒッチハイクのしやすい場所を探すため歩いている時、おばちゃんが作ってくれたおにぎりを入れたビニール袋にあるメモ用紙が入っている事に気がついた。そこにはこんな事が書かれていた。

    若い方に出会えて

     今回はたのしいドライブが

出来ました。

    どうぞ九州の旅をたのしまれ

     てください。くれぐれも大人

      にだまされないようにね。

僕が大阪で詐欺に遭った事を言ったからだろう。心配をかけてしまったようだ。帰ったら連絡をしよう。今回もいい人に出会った。

少し歩き車が止まりやすい場所を見つけ、僕はまたヒッチハイクを始めた。すぐに大型トラックが止まってくれた。乗っていたのは三十歳くらいの男前兄ちゃんで、いのしし狩りが趣味というさばさばした人だった。それがこの旅始まって以来始めての大型トラックだった。このトラックの男の人が言うには、トラックの運転中に仕事と関係のない人を乗せてはいけないという決まりが会社によってあるらしい。トラックは車高が高いので視野が違いいい気分だ。途中、日本一川までの高さが高い橋で止まってくれた。確かに、日本一というだけあって、橋の上から下を見るとクラクラする。写真をバシャバシャ撮ったが、後で見たらその高さが表現できていない。残念。

日本一。僕はこのセンテンスに弱い、日本一高い富士山、日本一の鍾乳洞秋吉台(この旅で僕は秋吉台へいく事になる)、さらには日本一まずいらーめん屋なんてのにもどうも惹かれてしまう。日本一と言われるものには確かにフム・・・と納得させられる事が多い。たまに最後に出した例のように、大した感動も与えてもらえない事もあるが。当たり、はずれがあるにせよ、行ってみる価値はあるというものだ。

トラックの男前兄ちゃんには阿蘇へ行く分かれ道の場所で降ろしてもらった。そこからまたいいヒッチハイクポイントを探すため少し歩いた。コツも大体掴めた。まずヒッチハイクポイントが重要。自分の後ろに車を止めるスペースがあるという事。車通りがそこまで激しくないところ。あとはドライバーと目が合ったら、決して目線をはずさない猛烈アピール。これに限る。私生活でもこんな猛烈アピールができればいいのになあ~・・・。まあそんな事はどうでもよい。

とにかくその目線を外さない猛烈アピールで、おじいちゃん、おばあちゃんの乗った車が止まってくれた。これまたドライブ中だという。車から見えるカルデラの中の湖、街、不思議な風景だ。阿蘇はどれだけの大きさの山だったのだろう。阿蘇カルデラになる前は富士山より高かったという説を聞いた事があるが、実際阿蘇を見てそれもまんざら理由のない嘘ではないと思った。山というのに見渡しの良い広々とした景色が続く。景色がよい所は毎回わざわざ車を止めてくれた。パラグライダーをしているグループがいる。いつかやってみたいもんだ(お金ができたらね)。

阿蘇の火口にも行ってくれた。おじいちゃん、おばちゃんはもうすでに火口は見た事があるので、途中まできてわざわざ待っていてくれた。火口からはブクブクと煙が立ち昇り、息を吸うとむせ返るほどの硫黄の臭いがする。ガスを吸わないようマフラーを口にあて、火口をジッと見てみる、なんと火口はエメラルド色で、綺麗な湖のようである。そして、外隣山の眺めは最高である。さすが世界一(今度は世界一である)のカルデラというだけはある。本当にスケールの大きさを感じる。阿蘇の火口を見終わった後、熊本に向かう国道で降ろしてもらった。このおじいちゃんとおばちゃんからはいなり寿司とバナナをもらってしまった。ほんと何から何まですんません。この旅、食べる物にはほとんど困っていない。ほとんど、誰かからご馳走になってしまっている。本当にみんな親切にしてくれる。さっそく、道路の横に座り、山道でもらったいなり寿司とバナナをほうばった。空気もいいし、景色のいい。たまに通る車に乗ってる人が僕を変な顔して見ていくのがちょっと気になったけど。

さて、またヒッチハイクを始める。五分足らずで一台のバンが止まってくれた。中には作業服を着ているおっちゃんが座っていた。名前をOさんという。話を聞くとOさんは他に2人のおじさんと住んでいて、手作りパンを作り生計をたて、登校拒否など事情がある子供をしばらく引き取り、大自然の中で人間関係の築き方を学びながら、更生していく場を提供していた。僕を見つけた時は、丁度熊本に手作りパンの材料を買いに行く途中だった。小庭さんが住んでいる所には僕が泊まる分の場所もあるという事で、この日はご迷惑になる事にした。パン粉を熊本まで買いに行った後、阿蘇の麓まで戻り、小庭さん達の家に着くと、そこには二件の立派なログハウスが建っていた。おまけに羊小屋まである。何とそのログハウスは全てが手作りで小庭さん達三人で土台から2年がかりで建てた家だった。僕が今まで見た事があるログハウスに比べるとかなり大きく、造りもしっかりしている。よくこんなものを作ったもんだ。

そこに住んでいるのは、オーナー、元大工のおっちゃん、Oさん、そして、中3の少年の四人だった。その中3の少年H君は明るい子で、1年前までは九州博多で暴走族に入って好き勝手やっていたらしかった。しかし、そんな生活じゃいけないと、彼自信の意思もあり、ここ阿蘇の麓に更生するためやってきたのだという。H君は中3というのに非常にしっかりとしていて、自分の意見をしっかり持っている子だった。まあ、この次の日の夜にさすが元暴走族という一面を見ることになるんだけど。

ログハウスに入り、みんなと共同の寝室の空いていたベッドを僕に貸してくれた。荷物を置き、リビングに下りると食事の用意をしていてくれ、みんなで語り合いながら飯を食べた。決して豪華な食事ではなかったが、僕が突然お世話になったので、みんなの分を分けてくれ、長い間話をしながら酒を飲んだ。オーナーはこういうお金に執着のない暮らしというのもいいものだという事を話してくれ、Oさんはここ阿蘇に住んでいる訳を話してくれた。Oさんは某企業の製造工場で働いていたが、会社をクビになり、ホームレス生活をしばらくして、流れ流れてここ九州阿蘇に着いた頃に丁度オーナーがログハウスを建てようとしていた時期だったという。そして、大工のおっちゃんも加わりログハウスを建て一緒に暮らし始めたのだそうだ。彼らの心奥底までは計る事はできないが、僕が見る事のできる範囲では幸せそうに見えた。僕が東京の大学に通う電車の中で、手すりに捕まりながらカックンカックン膝がなっているサラリーマンのハゲのおっさん達は見ていて悲しくなってくる・・・とこれは僕が学生の時の感想。今、僕は社会人三年目に入り、自分なりに懸命に働いている。電車の中の疲れたおっさん達を見ていて悲しくなってしまう事には、今も変わらない。だが、自分が働き始めて仕事の面白さ、くたくたになりながらも頑張っている何かを成し遂げて、認められた時の嬉しさを知った。そして、結婚をして妻と子を持ち、一生懸命働いている先輩達。それも悪くはないかもしれないと思うようにもなってきた。まあ僕は定期的な充電期間を入れていこうとは思っているけど。実際、社会人一年目というのに夏休み十日取って、一週間ベトナムに行ってきて、二年目の夏休みもミャンマーに行ってきた。3年目の今年はトルコにいこうと思っている。

これからも遊ぶところはきっちり遊んで、働く時はきっちり働くという切り替えのできるようになってやる。

飯を食べ終わり、素敵なおっさん達と中三のH君は僕を近くの温泉へ連れて行ってくれた。客も少なく、露天風呂には一人貸しきりで入る事ができ、後頭部を石に上にのせると、綺麗な星空が見える。本当にいい気分だ。

温泉を満喫し彼らとログハウスに帰り、ベットに入ると、この日も疲れていたのかすぐに眠る事ができた。

道路でもらったバナナといなり寿司を食らう。 img008.jpg

阿蘇山にて。